さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

科学は育児をスケジュール可能に、母を代替可能にする。本当に?

我が子が4ヶ月と22日です。寝返りをうって上半身を持ち上げたあと、もう半回転できなくてしばらく試行錯誤して、最終的には泣きます。かわゆ。
妻と子のつながりもとても強く、ほほえましい。息子はこっち見てもニコッと笑ってくれるから、天使。
徒歩圏に図書館もあるから、0歳向けの絵本なんかも、たくさん読んであげたいな。
ぼちぼちパパ見知り(というか、ママ以外イヤ!みたいな期間)が来るのかもしれない。つら。

ともあれ、子どもが生まれて改めて、全然想定通りにいかない存在がいる難しさや面白さを感じている。
ある程度こちらでお風呂の時間とか寝る時間とかは一定にしてリズムつくろうとしているけど、うまくいく日もいかない日もあるよね。


タイトルには「科学」なんて大きく書いたけど、粉ミルクと母乳の話。
粉ミルクは、飲ませる量やあたためる温度、飲ませる間隔なんかが決まっている。
母乳は逆に、飲ませることで多くつくられるようになるとか、赤ちゃんに必要な栄養が時々に応じて含まれるとか、赤ちゃんが飲みたがったら飲ませてOKとか。
あと母体の健康維持にもいいとか、母乳育児のメリットはやはり大きいらしい。
うちは妻が完全母乳でがんばってくれているので、自分はそこは楽させてもらっている。その分料理以外の家事はがんばろうとしているけど、まだまだ…なところも。汗

妻が前言っていたのは「母乳は欲しがったらあげればいいけど、粉ミルクだと一度あげたあと一定時間空けないといけないから、まだの時間なのにおっぱい欲しくて泣いちゃう子もいて大変みたい。」ということ。たまひよ掲示板を見ながら同じくらいの月齢の子のお母さんの情報をウォッチしているようだ。

粉ミルクを導入することで、母以外の人が赤ちゃんのお腹を満たすことができるようになるし、ある程度スケジュール可能にもなる。
ただそれでも目の前の赤ちゃんはその想定から当然外れるし、事前に想定があるからこそ、そこにはめようとしてしんどい、みたいなこともあるだろう。
もちろん、いつ母乳欲しがるかわからない、みたいな状況も相当にしんどいから、どっちが楽だ、みたいな話ではないのだけど、ともかく、どこまで行っても想定外はある。

粉ミルクの話に限らず、科学やテクノロジーの進歩で、育児に手がかからなくなっている。電動寝かしつけゆりかご、みたいなものもあるよね。
そうやってどんどん、母が出産後すぐに自分の時間を持てるようになってきているし、育児がスケジュール可能なものになってきている。
代理母」てなところまで話を広げれば、「母にしかできないこと」というのはどんどん減ってきているとも言えそうだ。

でもそうやって手放して手放して、その手で何をつかむのか。いやまあ、それぞれがつかみたいものをつかみに行くのだろうけど。

そしてここで、とうとつないんよう。夏目漱石が「断片」の中で、以下のように語っている。

きまらぬ所に面白みがあった。物は何でも先の見えぬ所が御慰みだ。

そう、それを面白がりたいよね、どうせなら。
本質的に育児は、というか人と向き合うことは乳児幼児に限らず、スケジュール不可能、予測不可能な部分があるもの。その前提の上で、少しでもやりくりするための手段として諸々のテクノロジーを使うのなら、それは歓迎すべきことに思える。
けれど、あたかも育児が本質的にスケジュール可能、予測可能なものだと履き違えてしまうと、赤ちゃんの想定外の行動にイラついたり、子どもに向き合えなくなったりするんじゃないか。

育児に正解はなく、唯一の鉄則があるとしたら家族がゴキゲンでいること、くらい。ただそれだって、「今目の前のこの子に関わりたいけど、ちょっと仕事の積み残しもある。心の底から目の前の子に向かい合えてない自分に嫌気がさす…」なんて、フクゴウテキにからみあった諸問題が立ちはだかる。


何が言いたいかよく分からなくなってきたけれど、育児という本質的にスケジュール不能、予測不能なものにゴキゲンに取り組んでいくために、状況に応じてテクノロジーも使っていけたらいいよなーと思う。それはきっと「本来育児だって予測してコントロールすることができるはず。できないとしたら、まだ技術が足りていないだけだ」という発想とは、スタート地点からしてだいぶ違うように感じている。