「やめてしまったことに罪悪感」ではなく「始めたことにあっぱれ」
今つとめている学校は、自分の裁量でプロジェクトを進める時間がたっぷりある。マイプロジェクト、なんて呼んだりする。
その時間を存分に活かしてやりたいことをやりまくっている子もいれば、何しようかな〜な子も。
今回、そういうマイプロジェクトの中で、「途中でやめちゃいました」「続けたいのだけどなんかなー」みたいなものを集めてみよう、という話になった。
そういう「やりきったゼ!」じゃないものの価値というのを、きちんとみんなで認識できたらいいな。
話を聞くと、どんどんマイプロジェクトを生み出している子ほど、途中でやめているものも多い。なんなら「マイプロジェクト」なんて名前もつけずにガシガシやっている感じ。なんだかんだ、数撃ちゃ当たるというか、数撃ちゃ続くものに巡り合う、のだろう、きっと。
そういう意味で、始めることのハードルを下げることが、逆説的に継続を促すのかもしれない。
始める時は気楽に。やめる時も、後腐れなく。でも、やめる時にどうしてやめたのか(「つまんなかったからー」でもいいだろう)を言葉にしたり、できそうならどうであったらやめずに続いたかもしれないかも言葉にしてみたり。また、やめたとしても途中までやったコトやつくったモノがあるなら、それを記録に残しておくことも、大切な気がする。
外部の方が絡む時には、安易に「やーめた」がしづらいからちょっと事情は違うのかもしれないけれど、そういう価値をきちんと伝えて、外部の方とも良い関係をつなぎ続けていけたらいい。
うーむ、やはりエジソンの言葉は含蓄があるね。
失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を一万通り見つけただけだ
I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.
作りあげたものがうまく機能しなくても、それを無駄な物だと決めつけてはいけない
Just because something doesn’t do what you planned it to do doesn’t mean it’s useless.