さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

『社会的処方』新春読書会に参加したよ

気になる本は、みんなで読もう|青木マーキーを見て、早速参加してきた。お正月三が日の朝7時からというのに、30人弱の人が参加。すごいなあ!

参考1:「社会的処方」とは?社会的孤立の解決策と方向性(web記事)によると、「社会的処方」とは「薬を処方することで、患者さんの問題を解決するのではなく『地域とのつながり』を処方することで、問題を解決するというもの。」「例えば、うつ病を抱えている患者さんを地域の趣味のサークル活動とつなぐなど、心身の不調を治療する際に薬で対処するのではなく、地域資源を通して生活環境を変えて困りごとを解決するのが『社会的処方』のアプローチ」
参考2:社会的処方 孤立という病を地域のつながりで治す方法|学芸出版社にはイラスト付きで紹介されています。

読書会に参加しての感想を書いておく。

  • 愛煙家の事例、面白かった。禁煙を勧める医療者には反発するが、愛煙家同士集まって登山したり、健康談義したり。その中で、自然と禁煙に取り組む人が出始めるという逆説。
  • 人が健康に過ごす5つの方法として挙げられていた、「Give」「Connect」「Keep learning」「Be active」「Take notice」(p.38)。特に最後のTake noticeは示唆的で、周囲の人に意識を払ったり、逆に自分にばかり矢印が向いていない状態(禁煙しろと迫られる愛煙家は逆に自分に矢印が向いている感じが居心地悪そう…)は、健康的と言えそうだ。
  • 「制度ではなく文化に」(p.76)ということ。カッチリと制度化した途端につかまえられなくなるゆるっとした部分に、人を救う何かがありそうだ。
  • p.86に、「市民→(市民活動への)参加者→Lay navigator(リンクワーカー?市民であり、他の市民と医療その他関係機関をつなぐ)→専門家」という流れがあった。
    • 誰しも市民であり、なにかの専門家(フォーマルな意味だけでなく)でもあると思うから、お互いにつなげ合いながら活動できたらいいよなと思った。
  • 「その人の力が必要になる場」をつくれたらいい。
  • 自分も地域の子育て世帯支援団体をつくろうとしているけど、まずは今集まっているメンバーで楽しくやることを主眼において、知り合っていって、必要なタイミングで出たり入ったりふくらんだりしぼんだりすればいいのかなー。
  • 読書会自体は、やはり会の進行を司ってくれるファシリテーターがいると、安心して参加できるな〜。
  • そうそう、今回はオンライン読書会だったけど、地域でできたら面白そう!という話も出てきていた。たしかに!と思った自分は、一緒にやってくれるかもな人にシェアしてみた。興味持ってくれて、一緒に動かせたらいいなー!


別件だけど、来週COTEN RADIOのイベントも開催する。

でも社会的処方の話と民主主義の話とは、自分の中ではつながっている気もしていて、それは「制度ではなく文化」っていうところ。この「文化」は、COTEN RADIOの中では「マインド」「実践」「行動」などの言葉で言われていた。結局「リンクワーカー」という仕事が先にあるのではなく、「民主主義」という制度が先にあるわけではなく、個々人の実践に名前をつけるなら、理論を乗せるなら…という感じなのかな*1?ちょっとプラグマティズムっぽい?

ひるがえって自分は最近、中高の同窓会やら、大学のサークル同窓会、あとはCOTEN RADIOだったりParentPod Pals(オンライン子育てしゃべり場)第5回は初のゲストトークで、1/28(日)16-17時)だったり、小さな趣味の場の幹事をたくさんしている。去年は何かしら月1くらいでやってたのかな?小諸わわわプロジェクトももうすぐ旗揚げ!
自分なりになにか実践しようという現れなのかもね。自分の持っているつながりがより活き活きしたものになったらいいし、まだ知らないつながりも見つけたいし楽しみたい。このあたりはホント、今の職場に転職してきたこと、結婚したこと、子どもが生まれたことなどなどのおかげだなーと思う。派手じゃなくていいから、自分にとって意味のあるものを模索している。



一昨日久々にサウナに行った。素晴らしかった!ただ勇んでサウナの中で首やら腰のストレッチを張り切ったら、翌日逆に筋違いになって痛い…。
『社会的処方』のエピローグに、湯浅誠さんの「一ミリを進める」という文章があった。理想に向かって一ミリずつでいい、進んでいこう、というメッセージだったが、逆に「一気に一メートル進もうとするな」ということかもしれないね。

*1:民主主義の初期段階は、社会思想家の思想が先にあって実践が広がった感じはあるけど、現代においては制度が前提とされている中で「個々人の実践である」という感覚が薄まっているような…??