さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

質的研究における「観察」の限界!?

※研究法に絡めたふりした自虐記事です。


修論で、今のところALTと日本人英語教師のティームティーチングを事例研究的に扱おうと思っています。
両者の間のアイデンティティの葛藤、的なものをみてみたいなあと思って色々調べているのですが、

異文化接触における文化的アイデンティティのゆらぎ

異文化接触における文化的アイデンティティのゆらぎ


これがかんなり先にやっちゃってる感あります。今冷や汗をかきながら読んでいます。博論だものなあ。汗汗
まあこの研究は多分ALT側にだいぶ寄ってるっぽいので、そこに日本人教師側の反応的なものもみていけたらいいかなあとかぼんやり考えているところであります。
また、手法として、両者の間の葛藤がみたいのに、自分がその間に入って色々聞いてしまっては、それをきっかけに、両者のコミュニケーションが始まってしまって、つまり自分がいなければ起こりえなかった状況を創りだしてしまうのではないか、「あるがまま」はみられないのではないか、とも思っています(もちろんどんな形であれ自分が入ることで現場に影響をおよぼすことは避けられないけど、その程度がひどく大きくなってしまってはよくないよね、と)。
そこで、観察者はまったく口を出さずに、ただただ黙々と授業(とその前後)を「観る」だけにすれば?というアドバイスをいただきました。確かに。ただやっぱりインタビューやら何やらしないと、ただただ授業を観るだけでそんなに多くのデータが手に入るかなあ、という不安もあります。
また、ただ授業を観るだけだと、その解釈は完全にこちらに任されていて、もちろんインタビューだろうがなんだろうが最終的に判断するのは論文を書くこの私になるわけだけど、それにしても本人がどう考えてその行動を取ったのか、というメタ的な部分は必要な情報なんではないだろうか、なんて。


と考えていた折、こんなことがありました。
友だち数名と飲もう!というお誘いが来て、ちょうど僕はその会の直前に家庭教師のアルバイトが入っていたので、かてきょ→現金収入→握りしめて飲み会、という流れで行こう!と思っていました。
しかし!台風の影響で学校が中止になってどーたらこーたらで、かてきょが中止になってしまいました。

困った。家を出る最初のきっかけが失われてしまったため、そもそも着替えて家を出るのが面倒(ォィ、さらに現金収入がなくなったので、貧乏学生的に飲み会がなかなかキツい、とか、M1のくせに修論やってなくていいの?とか色々な事情がありまして。
誠に申し訳ないことながら、キャンセルしよう、と思ったわけです。
そしてFBの当該飲み会ページに飛んで、キャンセルの連絡をしようと思った矢先、

その飲み会に、自分が昔好きだった人も来ることが発覚したわけですねー!

さて困った。行きたいような行きたくないような。
んでまあ色々考えた結果、やっぱり行かないことにしたんだけど、はたと立ち止まる。

これ傍からみたら、この人が来るから俺が行くのやめた、みたいに映るよね。笑
違うんだ!そのことを知る前に、今回は行くのをやめようって決めてたんだ!だから全然それとこれとは関係ないんだ!と思っても、
一連の流れを「インタビュー」なしに「観察(この場合はFBなどインターネット上でのやりとりだけど)」しては、やっぱりそれとこれの間に因果関係が見出されてしまうんじゃないか、と。

だからなんだって話だけど、とにかく飲み会ドタキャンはよくない、と反省。
この休み中、自分が家から出る際の心理的ハードルがだだ上がってる気がする。たち悪いわあ。
こうして社会から取り残されていくんだな、と思ってさみしくなっているので、9/28(土)のあまちゃん飲みは楽しんでいこうと思います。参加者絶賛募集でがす。最終回を観て、その夜にみなさんで語り合いましょう!