Ushioda, Ema,2010,「Motivation and SLA: Bridging the gap」『EUROSLA Yearbook』10(1): 5–20.
この前参加した勉強会で紹介されたので読んでみました。
「結局やる気次第だよねw」みたいなことは、英語教育研究を専門にやってる人の中にも(半分諦めをこめて?)言う人もいるくらい「普通の」話だと思います。(ただ巷では「先生の力量・正しい教授法さえあればもっと話せるようになる!」的な、個人のモチベーション等を無視した言説のが支配的…??)
そこで、第二言語習得研究(Second Language Acquisition: SLA)でも「Motivation」は非常に大事な分野ではあるのに、主要なトピックとはなっておらず、なかなか他の主分野と絡んでいないというのが本論文の主張です。
論文の構成は、まず「なぜモチベーションと第二言語習得研究主要分野との間にギャップが存在するのか」を歴史的な経緯から述べた後、「そのギャップを埋めるにはどういった研究が必要か」を述べています。以下、自分なりにまとめてみます(ので、詳しくは原著をあたってくださいw)。
◯なぜギャップが存在するのか。SLAにおけるモチベーション研究の歴史
1970-80年代にGardner, Lambertがカナダで立ち上げたモチベーション研究。知性・言語適性といった認知面のみならず、言語への態度・モチベーションといった情意面に着目したのが画期的だった。
彼らは社会心理学的な側面に着目し、目標言語集団への一体化を目指す「統合的動機づけ(integrative motivation)」を提唱した。
筆者は彼らの仕事から、以下の2点を指摘している。
1点目に関して筆者は、Gardnerらの最初のリサーチクエスチョン「なぜ同じ学習機会を得て、第二言語習得に成功する人と失敗する人が出るのか」を紹介している。つまりモチベーション研究における従属変数は、「言語習得の成功」という全体的な成果("global outcome"がうまく訳せない…)であり、言語習得の中間プロセスに着目するものではなかった。
2点目に関しては、研究が蓄積されていく中で、個別の言語学的側面に着目した研究(異言語集団間のアイデンティティの問題が、"ethnolinguistic identity"やら"social identity"などの術語とともに紹介されていた)も増えていったが、当初のリサーチクエスチョンからはズレ始めた。
そして1990年代初頭、社会心理学的アプローチに行き詰まりを感じた研究者たちは、認知的・教育的アプローチへの転換を図った。すなわち、どうやって生徒を動機づけ(およびそれを維持)するか、的な話である。「モチベーションが大事だよね」と日本で英語教育について言う場合、こうしたことが念頭に置かれているだろう。そうすると、教室の状況に着目した研究が増えてくる。マクロからミクロへ、ということで、より言語の習得プロセスに密着した研究が行われるようになってきた。しかし、そうした教室における言語習得プロセスに着目したような研究で用いられるのは、以下のようなタイプの研究デザインであった。
- モチベーションのタイプを内発的・外発的などで分類し、その違いが言語習得行動にどういった違いを生むかみる
- モチベーションに影響を与える要因をみる
- 教師および生徒自身のストラテジーによって、モチベーションがいかにして維持される(かされないか)みる
モチベーションが言語学習にどう結びついているかをみるものが多かった、ということだ。しかし、そうしたモチベーション的要素が学習における認知プロセスのどういった点に影響を及ぼしているかに関する分析は、少なかったという。
モチベーションが心理言語学的メカニズム(インプット・その処理・アウトプット)にどういった影響を与えているかを描写した研究もあるが、あくまで事例をもとに理論を構築する記述的なものにとどまり、理論の実証は困難であるという問題点がある。そうした弱点を克服するために、task engagementに関する研究も進められている。タスクにおける言語産出にモチベーションがどう絡んでいるかをみるというものだ。
認知(cognitive)―情意(affective)の二項対立から、SLAは前者に重きをおいており、後者であるモチベーションは主流になりえない、とする説明は、モチベーション研究が認知面に与える影響を考慮し始めている今、適切ではない。(とかまとめながら、この両者の分け方自体に詳しくないことに気づいた。どういう関係になってますのん?)
現在のSLAの主流は、cognitive vs socioculturalとなっているそうで、それはすなわちpositivist vs relativistでもあるそうだ。うむむ。
すなわち言語習得プロセスを文脈から切り離して理解しようとする前者に限界があるのではないか、という主張っぽい。論文中には、「ダンサーをダンスから切り離せるのか?同じようにして、習得(acquisitiono)を使用(use)から、認知的なもの(the cognitive)を社会的なもの(the social)から、個人(the individual)を環境(the environment)から切り離せるのか?」というKramschの疑問が紹介されている。(てことは質的研究もこの辺から出てきたんだろうな…。)ヴィゴツキーの社会文化理論だとか諸々の理論がSLA研究にも影響を与え始めているそうです。
モチベーション研究においても個人とその個人が置かれた文脈とを意識する研究が行われ始め、今まさにホットなこのcognitive vs socioculturalの対立に何か貢献できる点があるのでは、というのが筆者の主張のようです。
◯ギャップを乗り越えて:リサーチアジェンダ設立へ
まずはモチベーションと認知プロセスの関連をみる。L2 phonological developmentと、L2 pragmatic developmentについて書かれている。すなわち、モチベーションが、特定の言語項目(音素や構文)の習得にどんな影響を与えているかをみるというものだ。そうした研究によれば、内発的動機づけを持っている学習者は、言語学習自体を楽しむため、より複雑な言語形式にも注意が向き、その結果として言語習得が進むのではないか、ということが示唆されている。
次にモチベーションとメタ認知の関連をみる。一般的には、学習者自身が、自分のメタ認知やストラテジー使用に関して報告したデータを元に、それらとモチベーションとの関連をみるような量的研究が多いっぽい。ただ、メタ認知とモチベーションとは密接に関連しているので、それらを切り離したものとして捉えるやり方は、理論的にあまりうまいやり方とは言えないようだ。筆者はそこで、ヴィゴツキーの社会文化理論的観点からの分析を推奨している。
モチベーションを、情意・認知に関する文脈性を帯びたプロセスの有機的・適応的なシステムであるとみるなら、SLAのメインストリームから切り離した分析はもはやありえず、今後主流になっていくべき分野であると結論づけています。
ここからは適当な感想だけど、モチベーション研究が、何か実証すべき理論・モデルを実証するためにある、と考えるか否かは大事な気がしている。たとえばモチベーションを説明変数にしたり被説明変数にしたりしながら、重回帰にかけたり、パス図を書いたりする研究はわりとあるように思えるけど、そこで書かれた図やらが研究間で異なっていた場合、それはどう解釈するのか。
お互いの測定・分析の足りないところを突き合って、「より正しい」モデルに近づいていくのか、それともしょせん文脈の中でそういった形を取っているにすぎないから比較に大きな意味はない、と考えるのか。後者ならどんどん様々な要因の間の「ダイナミックな」部分をみていくことになって、質的研究に接近していく(って言い方が適切かは分からないけど)ような気はする。
おカタイ話が続いてきて疲れたので、最後にANGEL VOICE, which I believe is one of the most "educational" comics, から、モチベーションについて言及があるところを抜粋。24巻pp.139-146です。
病室のマネージャー高畑の容態が急変し、緊急手術に入るということを試合中に知った市蘭イレブンは、いつもどおりのプレーができなくなり、敗退する。そのことをふり返って、DFを統率する脇坂と、GKコーチである関根が会話している。
脇坂「問題なのは………高畑の緊急手術を聞いて誰一人普段どおりのプレーができなくなったことだ」「オレたちは………メンタルが弱過ぎる」「何があっても動揺しない精神的な強さを身に付けるにはどうしたらいい?」
関根「………」「もしお前らがマイの手術を聞いていつも通りのプレーをしとったら………」「そんな薄情なやつらにワシは何にも教えてやらん」
脇坂「!!」「今のままで……いいってのか?」
関根「今のままじゃと?………」「マネージャーが手術と聞いていちいち動揺するような小童が打倒船学を口にするとは片腹痛いわい」
脇坂「どっちなんだよ!?(ベンチから立ち上がる)」
関根「人間じゃからのぉ 動揺するのは仕方なかろう」「動揺した後―――それを乗り越える強さを得ればええんじゃ」
脇坂「(動揺した後…それを乗り越える強さ?)」「どうやったら……それができる?」
関根「おお!!そんなのは簡単じゃ(ベンチから立ち上がる)」「ワッキー」「お前さん どうして船学に勝ちたいんじゃ」「なんで八津野を倒そうと思う?」
脇坂「………」
関根「船学は常勝の歴史を築こうとしとるし、八津野は全国一位の座をつかみたい ――みんな勝ちたいんじゃ」「お前にそれに負けないくらいのモチベーション(動機づけ)があれば 何があっても乗り越えられる」
脇坂「(む……難しいじゃねーか!!)」
関根「一度――みんなで話し合ってみろ ……ワシや黒木がおらんところでじっくりな」
こうしてあの感動の話し合いの場面(「オレたちは―――何のために船学を倒すんだろーか?」25巻)に行くわけです。
モチベーションがあろうとなかろうとできる部分もあれば、モチベーションがあると早い部分、モチベーションがないとできない部分があるような気がして、その「壁」を越えるためにモチベーションが必要なんだろうなーと。なんてざっくり!笑
今度はANGEL VOICEの教育的な場面を集めてブログ書こうかな…!!