さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

accountabilityと英語科と

 「現代学校改革の諸問題」といういかついタイトルの授業では、毎回日英論文を読んでから授業に臨む(ことになっている)のですが、今回はaccountabilityについて。
いわく、規範的には

  1. public accountability
  2. profession accountability
  3. partnership
  4. market

と4つの「説明責任」があるそうです。


 1つ目はcontrolを課す←→2つ目はautonomyを課すという点で対立している。
つまり、教員をprofessionとしてみる場合、そのclientは目の前の子どもであり、その子どもたちに自律的に働きかけるという点でcontrolを排除するが、
同時に社会に対して説明責任を果たすべき存在という観点からみると、大抵は学力であるそうだが、そうしたものに関して外部からのcontrolを受ける存在と言える。
本来2つ目は子ども相手のみならず同僚同士の規範などが第一義らしいが、それはどうも日本の学校では(とくに学校段階が上がるほど)希薄らしい。


 1つ目・2つ目はどちらも官僚主義的(bureaucratic)だが、4つ目はそれを批判するという点で対立している、という構造も面白かった。


 また、accountabilityに関しては、「誰に対して」「何に関して」「どのように」責任を負うのか、という視点も大切らしい。
marketはそれが「顧客・消費者としての保護者や子ども」「学力・子どもの情緒的発達」「選ばれるか選ばれないか」とはっきりしているとのこと。なるほど手強そうだ。笑


 授業を聞いていて思ったのは、英語科って今回のTOEFL騒動もそうだけど、なんだかんだ他の科目よりもpublic accountabilityを問われやすそうな気がする。
今回の授業で扱ったのは教職に関してであり、教科に関してではなかったので、その辺どうなんだろうと気になった。
「教え方が悪いと思うんですけど!」というクレームはでもどの科目にも入りそうだしなー、


 学校内部のアカウンタビリティ(教員自身の責任・周囲の期待の調和)がうまく行っていない学校は、個人の責任に頼りすぎて、外部からのアカウンタビリティが導入された時に脆い(脆さの中身はいまいち理解していない←)とのこと。
ここでいう「期待」は佐藤学流に言えば「哲学」なんだって。現場レベルでは「校風」なんてモワッとしたワードで捉えられてるんじゃないかと邪推するけど、どうなんでしょ。
だから卒業生を採用することは校風が受け継げて、その結果外部アカウンタビリティにも強い組織になれるからいいのだー!なんて?笑



そんで誕生日祝ってもらっちゃいました(ドヤ
ほぼ完全に不意打ちでリアクション取れず。ありがたい限り!全然関係ないけど自慢したかったんです!!