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さんだーさんだ!(ブログ版)

旧「◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!」 - 大学院を終え、2015年度より中高英語教員になりました。

選択肢が多すぎる!

日記 戒め 英語 英語教育

個人主義自由主義の発達したこの世の中に生きる僕たちには,嗚呼かようにも選択肢が多すぎるよ!という話。

元日は,いつものように祖父母宅(歩いて3分)の家に行ってお寿司を頂いてきました。
僕も弟もまだ若いとは言ってもいい年でありますので,話は当然のようにそっちにも行くわけです。
やれ「別に急がなくていい」,やれ「パートナーが見つかりさえすればいい」,
やれ「とはいえ早いなら早いほうがいい」などなど,バラバラの人からバラバラの意見を頂戴するわけです。
悪いけど全然焦るつもりにならないなーと思いながらも,とはいえ結婚したらきっと喜んでくれるんだろうなーと思いながら聞いている。

そこでおばあちゃんが言っていたのが,「結婚は忍耐だよ」という言葉。
半分冗談だとしても,残り半分は本当なんだろう。
正直な話,「なんだかな」と思った。
この「なんだかな」がどんな「なんだかな」なのか分からないけど,近い表現で言い表わせば「そんな大変だったら…」みたいな感じだと思う(まだ濁している)。

高度に個人主義化した僕たちは,「別に忍耐したくなんかない」と思って独り身を貫くのかもしれないし,
「どこかにまったく忍耐しなくていい相手がいるはずだ」と夢は枯野をかけ廻るのかもしれない*1


でも,そんな中,今朝おじいちゃんが入院したわけです。
そんなに重い病気ではないらしいけど,年齢が年齢だから,家族一同心配してしまう。
入院のための荷物を運ぶのを手伝えるのが自分しかいなかったこともあり,おばあちゃんと病院にタクシーで向かう*2
病室までついていって,2人が話しているのを黙って聞いていた。本当は色々荷物を置いたりするの,手伝ったらよかったのかもしれないけど,それはなんだかおばあちゃんだけの仕事なんじゃないか,なんて思ってしまった*3

そこで気づいたのは,2人とも相手をすごく思いやってるな,ってこと。
おばあちゃんが,時々話がかみ合わなくなるくらいおじいちゃんを心配しちゃうのも,
おじいちゃんが,それに対してイライラしながらもまあ自分を心配してくれてるんだしな,と受け容れるのも。
帰り際,「明日も付いてきてやってな」とおじいちゃんに言われた。
「明日も見舞いに来て」の婉曲表現だったのかもしれないけれど,
それ以上に「おばあちゃんを1人で頑張らせすぎないで。ほっとくとめっちゃ頑張っちゃうから」みたいな意味に聞こえた。
仕事始めが遅いことに感謝しながら,病院を後にした。


それで,最初の話に戻るわけですよ。
こういう絆を心底うらやましいなあと思いながら,「結婚は忍耐」みたいな言説には抵抗感を覚える自分は一体なんなんだろう,と。
「英語できるようになったらいいなあ」と言いながら,「英語は根性」みたいな言説に抵抗感を覚える,みたいな感じか。
ここまで書いて,この記事を思い出した。
語学の成功を「努力」で説明するのはスジが悪い - こにしき(言葉、日本社会、教育)
結局のところ,ある種の「忍耐」に見えることは,結婚生活において,というか,他人と共同生活を営むなら絶対必要なんだと思う。
だけど,それを「忍耐」と呼ぶかどうか,みたいな話なんじゃないか。
周りからは「お前すごい忍耐強いな」と思われても,本人が「この人とだったら別に大したことないよ」なーんて言えたらいいなあ,と。
英語学習でも,周りから「お前すごい努力してるな」と思われても「や,楽しいからやってるだけで,別に大したことないよ」なんて言えたら理想だよね。


でも。
でもでも。
どう頑張っても英語を楽しいと思えない人がいて,そういう人がどうしても英語を勉強しなくちゃいけないなら「努力は必須」って言い切った方が楽なんじゃないか。「どこかにこの辛い努力を努力と思わなくなる術があって,でも自分はそれに出会えていない」って不幸な気がする。
それならいっそ「英語は辛いもの。みんなそうだから」って方が慰めがあるだろう。
英語なんてできなくていい,と同じ気楽さで,結婚なんかしなくていい,と言えたらならそれはそれでいいんだろうし,実際のところそういう世の中になりつつある,気がする。
ただ問題はどういう世の中かではなく,僕があなたが個人としてどう思うかであって,「そうは言ってもいずれ結婚したいなあ」と思う人にとっては「どこかに『忍耐』をつらいことと思わなくて済むくらい自分にピッタリの人がいるはずだ」よりも「んまー忍耐は必須だからね。そういうもんだからね」って言ってくれる社会のがラクなんじゃないか。

たとえば昔は,転職なんてありえない,みたいな世の中だったらしい。今は多分,そうでもない。
同じように,うちのおばあちゃんは「結婚は,『ダメだったからやめました』とはいかないんだから」とお寿司を食べながら言っていたけど,もしかすると,「ダメだったからやめました」が普通になる世の中が来るのかもしれない。
でもその世の中で,自由に結婚離婚をくり返して,一昔前より結婚生活の満足度が上がるかって言われたら,ビミョウなところじゃない?


ああもうわけわかんなくなってきたぞ。そうだ最後は無理やり英語における選択肢の話をしよう。
この前友だちとLINEをしていた時のこと。「たしか○○貸してたよね?」って聞く時に,”I think I lent you ○○, did I?”と書いた。
“○○, “辺りまで書いた時に,「そうそうこれは対応する動詞はthinkじゃなくてlentだから,doじゃなくてdidが対応するんだよな」と思いながら”did I?”と付け加えた。

このメッセージを送って,風呂入って,体洗って,風呂に浸かってる辺りで気づいた。”didn’t I?”じゃんね。
付加疑問文には,時制の選択と肯定形←→否定形の逆転という2つのポイントがあって,片方にちょっと気を取られちゃったがために,もう片方がおろそかになったんだな,と(細かい話をすれば主語も見ながら動詞の形の選択をしなくちゃいけないけど,今回は過去形だったからか,あんまり気にしなくて済んだ)。
英語初心者にとっては,もしかすると*4,英文を作るなんてのはこうした選択の連続で,集合体で,複雑怪奇魑魅魍魎,なのかもしれない。
こういうのを1つ1つ自動化してくには,やっぱり各自の自覚が必要不可欠だと思うんだよなあ。上から「こういう練習・課題をしましょう」って言われたところで,その練習・課題をこなす中でどこに焦点化するかは人それぞれなわけで,「ここ気づけてなかった!」的なことに自分で自覚的になれるかどうかって,ゆくゆくは大きな差を生むことになるのだろうと思う。


一番最後に自戒を込めて厳しいことを言っておくと,今回の付加疑問文のように,ある決まりきった形式を取る時に,それを「選択肢の集合」と見てしまうってのは,なんだか英語ができない人の発想だな,と思う。今回に関して言えば,特にウニャムニャ考えずとも”didn’t I?”と出てきて欲しかったぞ,自分,と思うとるわけですハイ。

*1:と,急に主語を大きくしてさらに濁してみる

*2:この荷物の軽さにも正直驚いた。。

*3:と,言いながらトイレまで付き添ったり水を運んだり,一応そこに行った役目は果たした,と信じたい。

*4:もしかしなくても,かもしれない。

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