さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

H-LABというサマースクールとの関わり

20分でつらつら書いてみようシリーズ。


H-LABというサマースクールがあります。
http://hcji-lab.org


日本の高校生を取り巻く「ボーダー」を取り除く、ということをテーマに、高校生同士、高校生―大学生、高校生―海外の大学生、高校生―社会人とさまざまな交流を生むサマースクールです。
3年前に東京で始まって、三年目の今年は東京と長野県小布施での同時開催になっています。


僕は1年目に、海外大学生と日本の高校生の間を取り持つTeaching Fellowとしてお手伝いをさせてもらって、2年目には実行委員として関わって、3年目の今年は、小布施でのサマースクールの、事前英語研修を計画・実行してきました。長野の高校生が、英語のネイティヴスピーカーと話す機会はそんなにないだろうってんで、色々英語を使って話してみよう、的なことをやりました。
そして8月16日から18日まで小布施に行って、実際のサマースクールにも参加してきました。
ただ、レポートが終わってないから、というエクスキューズをつけて、まだサマースクールは続いている(まさに今日が小布施の最終日)にも関わらず、帰ってきました。
おかげで今日〆切のレポートは1つ終わって、もう1つはまったく手をつけてないけど、まあなんとかなるかって感じです。


3年間、なんらかの形でこのサマースクールに参加してきて、院生となった今年、色々考えることがあったなあと思ったのでメモっておきます。


このサマースクール自体についてあれこれ言うつもりはないし、すごく価値のある試み。高校生はみんな試しに応募してみればいいし、大学生も運営に参加することで得るものは多いと思う。
だから今から書くことは、サマースクール自体に起因するものではなく、ただひとえに自分自身の問題です。


このサマースクール中、様々な社会人がやってきて講演を行う。だいたいみなさん「心の赴くままにリスクを取れ」ということを熱く語られる。それはとても正しく、とても心動かされる。
このサマースクール中、様々な高校生と話す機会がある。文理に悩んでるとかいうとても微笑ましい話から、どう生きていきたいかなんてむつかしい話まで。


年を追うごとに感じるのは、「自分は、彼らに話すものを何も持っていない」ということ。留学経験もないし、ただなんとなく受験して大学に入っただけだし、在学中に何かをなしたなんてこともない。何より「リスクを取れ」と言うつもりもあんまりない。むしろ「これはリスクだひゃっはー取ったるでー」みたいなのとは反対のところにいる気がする。自分はリスクを取って来た気はないし。


あと6分くらいしか時間はないのに、何を言いたいのかわからなくなってきた。
院生になった自分は、きっともっと勉強がしたいんだししなくちゃいけない。あのサマースクールの場で得られるものは非常に多い。ただ、それとは別の何かが自分には必要なんだ。絶対。あの場で適当にそれっぽいことを言うことはきっとできるけれどそれはダメだし、心からの何かを彼らに与えられるほど自分は何もしていない。多分高校生の前でふる舞うのは、自分は比較的うまいけれど、それは別の誰かにもきっとできることであり、自分にとってかけがえのない「イマココ」の自分は、やっぱりこの修士の2年間をひたすらインプットに使って何かをつかまなくちゃいけないんだと思う。ただ思っているだけでだらけているような面もあるけれど、だらけをなくせばちゃんとなるはずなんだと信じるしかない。他の「正しい」活動で身を忙しくしていては、そっちに簡単に「溺れて」インプットどころではなくなってしまう。


一緒にサマースクールから帰ってきた先輩は、「今まで自分の趣味が広くて勉強だけに打ち込めてなかったけど、博士まで行くことに決めて、他の欲を断って勉強に集中してみるつもり。自分がどこまで行けるのか楽しみだ」と言っていて、ここまで言えることがひどくうらやましかった。自分はそんなに自分の才覚に自信ないし、そこまで他を断てる自信もない。でもそれに対してひどくうらやましく思ったという事実一点にもっと期待を寄せて頑張ってみるのがいいんだろうと、新幹線の中でぼんやり思っていた。思っていたら乗り過ごして、上野じゃなく東京まで行っちゃったんだけど。


なにより一番の問題は、サマースクール関係の人が好きすぎて、なんとかそことのつながりは持っていたいよなあだったらサマースクールにも少しコミットしたいよなあって思ってることなんだよなあ。


さて、レポート提出に行って、帰りに鳳鳴館(本郷そばの、東京のH-LABが開催されている宿)に寄ってみようかなあ。