さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

悪いのどっち&山に登る話

先日うちの学校の説明会が終わった。たくさんの人に来ていただき,自分は一年目ながらガイドツアーなんていう,説明会後の校内見学ツアーなんかも手伝って,非常に勉強になった。
今日はその中で特に印象に残った話。

初日の最後のシフトで,正門受付に入った。仕事は簡単で,来場者には「受付こちらですこんにちは」と言い,退場者には「アンケート回収していますありがとうございました」と言うだけの簡単なお仕事。
その仕事自体はつつがなく進んだんだけど,途中正門そばに不安げに携帯をかける小学生の男の子が。こちらに質問してくる。
男の子「この説明会って何時までですか」
僕「もう終わってます」
男の子「あの,お母さんがこの説明会に来てて,いると思うんですけど電話に出ないんです。もう30回くらいかけてるんですけど」
僕「ああ,今校内見学ツアー中だから携帯見られないのかも。ここでしばらく待っていていいですよ」
男の子の受け答えは非常にクリアで,特に待ち合わせはしていないこと,お母さんの携帯の電源が切れたらこちらに通知が来るので電源はまだ残っていることなどをしっかりこちらに伝えてくれた。
まあしばらく待っていたら来るよなと思いながら上記の「アン回あざます」を連呼していたけど,なかなか来ない。
一応その場にいた先輩の先生に男の子のことを伝える。「もう40回くらい電話してるけど出ないんです」おお,だいぶ増えてるぞ。

それで,さらにその後しばらくしたら,ようやっとお母さんが来た。
「もーダメじゃない」と男の子をはたくお母さん。えっ,と思いながら「すごく不安そうでしたよ」とお伝えする。あざますと送り出す。

その2人の背中を見送った後,先輩の先生が「なんでああいう時,『子どもが悪い』みたいなポーズを大人は取るんだろうな」「ですねー」「うちの保護者なら『今回はお母さんが悪いですよ』って言うけど,まだうちに入ってないからなw」「ですねw*1

思えばうちでもあったなあ。俺らが味噌汁こぼすと大変怒られたもんだけど,母親がこぼすのを指摘したりするとなんかこっちが怒られる,みたいな。

さらに思えば,こういうことは「親―子ども」だけでなく「教員―生徒」「上司―部下」「師匠―弟子」みたいな,不均衡な関係性の中では容易に起こりうることなんだろう。
あの2人を客観的にみて「え,今のお母さんが悪いじゃん」と素朴に思ったあの気持ちを,俺と誰かをみた別の人に抱かせないようにしたいな。まあまだ若いから,上の「A―B」でいったらBにいることが多そうだから,当分大丈夫そうだけどw


そしてもう一つ,山にのぼる話。
尊敬すべき数学の先生方が,雑談をしていた。僕は採点をしながら聞き耳を立てていた*2
「数学的厳密さを極めないまま『そういうことになってます』『大体こんな感じです』で終わらせてしまうのはもったいない」というA先生。それに対してB先生は,「たとえばある高い山があって,7合目くらいに展望台がある,と。そこから頂上はある程度はっきりみることができて,その先の道は整備されてない。その展望台で『おお見えた見えた』と満足するか,『どうせここまで来たんだから上まで登ろうぜ』となるかの違いでしかないんじゃないかなあ」と言っていた。
ううむなるほど。問題は何合目くらいに登れるかとそこから見える景色,さらにはその先に登る際の労力とリターンなどなど諸々が重なりあう話だと思うけど,たしかに『ここからある程度先が見えます』ってところで満足するのも,人生は短くて分野は無限なわけだから,ありだよなあ,というか現実的にはそうするしかないよなあ,と思った次第。


最後に反省。学校説明会のガイドツアー,せっかく色々記事書くくらいネタ溜まってるんだから,もうちょっと部活の話くらいすればよかった。「逆に先生理論」は話せるはずもないにしても。笑

*1:ふり返ったら「ですね」しか言ってないの,軽くコミュ障っぽいなw

*2:そりゃあ採点が進むわけない