さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

昨日友だちと話したこと

周りの友だちの多くは就職してしまっており、新社会人として研修やらに出ているみたいです。
そのうちの1人が、東京でしばらく研修を受けた後、地方に行ってしまうというので、あれこれ下手したら一生会わなくね?それやじゃね?と(俺の方が一方的に)思って会う約束を取り付けました。


んでまーひっさしぶりだったから最近何してんのよ的な話に始まり、お決まりの就職・結婚トークみたいなのして、その後1人友だちが合流して、またグダグダ。
「就職とか結婚とかなんかそういう頭使う話じゃなくて、大学1年のころみたいな『この授業が単位楽らしいよ』『サークルが―』的なラクな話がしたいんだよ!」と彼は主張してたけど、そこに彼の明日の最終面接の電話が来たりして、やっぱ頭使わざるをえないじゃんね、なんて。


教員の話になって、いわゆる私立のトップ層伸ばしたいのか、公立の底辺層引き上げたいのか、みたいな二者択一になった時に、今のところ自分は前者に興味があるよなあ、と愚痴る。
「勉強する気が(相対的に)ある人」のが、やる気出させるのに注力しなくていい分、教科指導に力入れられるんじゃないかと思ってて、そっちでどれくらい生徒を伸ばせるのかやってみたいなあってのが先に立ってる、と話したら、
「でもその勉強する気が(相対的に)ない人って、勉強してほめられた経験がないだけなんじゃないの。彼らに勉強する喜びを教えてあげるのもきっと面白いんじゃない」と言われ、確かに、とも思った。
教育格差の問題は根深いのだろうと知りながら、それに真正面から向きあおうとしていないよなあ。


ただそこでネックになってくるのが、英語教えることが彼らの役に立つのか、的な話。
トップ層なら英語を使って社会で「活躍」していく可能性が高いから、とか自分を納得させるのは比較的簡単な気がするけど、うーん、どうなんでしょう。この辺掘り下げちゃうと英語教員の存在意義が揺らぎ始めるから適当に見てみぬふりするのがいいのかもしれないなー。笑


あと、友だちの言ってたことにも納得すると同時に、それでもまだ「トップ伸ばすのも底辺引き上げも、それぞれに違う難しさがあって、どちらも等しく価値があるはず」と思ってるから、なんとなく後者の方に重きが置かれてる(なんて言ったらいいのか分からない…気のせいかもしれないしなー笑)ような感じがするのにもやもやもしてもいる。