さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

この間の研修とか、最近思っていることとか。

先週金曜日、研修があった。外から来て一日過ごしてくださった、保育がご専門の先生が切り取ったいくつかのシーンをご紹介してくださって、話題提供。それを元に各テーブル5~6人でちょっとおしゃべり。「このシーン気になる、もっと話したい」を出していく。各テーブルのおしゃべりの内容をシェアした上で、人気があった2つのシーンを、さらに深堀り。そのシーンに関わったスタッフからさらに詳しい話をしてもらって、その後さらにテーブルでディスカッション。すごく練られた構成で、とっても良かった。
前期(3歳〜小2)と後期(小3〜中2)とでは、まだ普段あまり混ざれずに過ごしているのだけど、通底している部分というか、共通して大事にしたい部分なんかが、少しずつ見えてきた感じで。
(同時に、そういう部分を共通に大事にしていく大変さも…。)

2つのシーンのうちの1つは、年少さん。ポシェットづくり(って言い方はしていなかったけど)にはまって、みんな思い思いのポシェットをつくっている様子があった。担当しているスタッフは、リアルなものに興味が出ている子もいれば自分の空想世界をもっと深めたい子もいるとか、自分と他人の境が少しずつ出てきているとかの、子どもたちの様子を説明してくれた。
流れとしては、子どもたちのうちの一人のおうちまでお出かけしよう、ということになって、そのときに使うポシェットをつくってみよう、ということだったらしい。

「現実と空想、自分と他人」
自分はこうメモしたあとで、「空想と現実、自分と他人」と書き直した。
つい「現実があって空想がある」って考えがちだけど、人の発達の流れとしては逆だよね。まず空想の世界があって、現実に出会っていく。そこに橋を架けるのが、このスタッフはとても上手なんだと思う。「お出かけ」というリアルな場に出るのにワクワクする子もいれば、自分の空想世界で遊んでいたい子もいる中で、この「ポシェットづくり」は、どちらにとっても必然性があるというか、ハマれる、楽しめることだったんじゃないか。

もう1つのシーンは、小1・2の算数で、ググッと入り込めている子たちと、そうでもない子たちの姿が語られた。つい自分は「どうしたら入り込めていない子を算数に向かわせることができるか」みたいなことを考えてしまうけど、このシーンを紹介してくれた先生は「この子たちにとってこの時間ってどういう時間なんだろう」と、徹底的に「その子」の見ている世界を見ようとしているのが印象的だった。

その後テーブルで話す中で、「文脈」という言葉が出てきた。たとえば先の年少さんの「ポシェットづくり」は、急に大人側から手渡されたわけではなく、来週行くことになっているお出かけと密接に絡んだもので、子どもたちの文脈に乗っかった活動だった。
とはいえ算数などの教科的な、抽象度の高いものになると、生活に密着した「文脈」をすべてのコンテンツに求めるのは厳しい気もする。そこで出てきたのは、この「文脈」を広く取って、「その子がその時そこでそれを学ぶ理由」という風にも考えられるかも、という話だった。たとえば算数数学で行なっている異年齢の学び合いで、下の学年の子がいると急に活き活きして教えるし、自分でもがんばって学ぶようになる子の話。どの学年でも見られる場面だなーと思う。その子にとって、内容的には別に必然性(≒文脈)はないかもしれない。でも、それをがんばって学ぶことで、見せたい背中を見せられるようになる、的な意味では、ある種の必然性がある、とも言えるのではないか。「なりたい自分になる」ために学ぶと、広く言えそうな感じ。
そういう環境を整備していくことは大切で、となるとやっぱりその場に集った人たちの関係性もひとつ重要になってくる。

とはいえ関係性があればなんでもできるとは当然思っていなくて、そこは本人の成長実感とセット。
今あすこまさん(https://askoma.info/)と組ませてもらっている5,6年の国語でもそれは実感していて、日々のカンファランス(その子の読んでいる本や書いている作品についての、1対1の短い対話)を重ねていることで徐々にやり取りの精度が上がって(いると信じたい…)、また子どもたち自身も自分の成長を感じてきている(子が増えている感じはしている)。そういう個々の成長実感の上に、それを交流する意味も出てくるのかなーと思っている。大人も子どももその意味を感じられていないものを交流することにあんまり意味はなくて、だから国語でやろうとしていることは、本人も見落としてしまっているその子の作品やプロセスの「宝物」をきちんと見取って、まずはその子本人に、そして積極的にその集団全体に返して、より豊かな読み手・書き手(の集団)へと導いていくことなんだろうなーと思う。

テーマプロジェクトについてもそうだな。自分の手元にちゃんと問いがあったり、日々何かを学んでいたりする実感があるからこそ、自分の言葉で自分のプロジェクトを語れるし、そこからの類推で他の人のプロジェクトも面白がれたり、親身にアドバイスできるのかな。
今回は「土」がテーマでやっているのだけど、恥ずかしながら全然門外漢で、子どもと一緒に試行錯誤・右往左往・吃驚仰天しながらやっている感じ。でもまあ、その中で「この失敗にはこういう意味があるよね」と意味づけたり、適宜学びにつながりそうだと自分が感じたところを素直に本人たちに返しながらやっている。どこまで本人たちに腹落ちしているかは、この後のアウトプットデイとか、その後のふり返りを見る必要があるけれど。

この辺りから、自分の専門たる外国語カリキュラムにも転化させていきたいのだけれど、うまくいっている部分もあれば、まだまだ全然…な部分も。

ただ、こうしてブログで少しずつ自分の実践や、日々感じていることを開いて、なにかのディスカッションのきっかけにできたらいいなと思っている。