さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

激動の

書こう書こうと思っていながら,このタイミングになってしまった。
この1年間,自分の身辺が激変した&する。新年度・新元号発表を翌日に控えた今日中に,なにか書いておかなくちゃ,という気持ち。

結婚しました

昨年12月に,1年ちょっと付き合った方と入籍しました。結婚式は6月です。
いやーほんと,自分が結婚とはね。面白いね。わかんないね。
彼女も働いているからしばらくは遠距離婚だけど,時代的にそう珍しくもないだろうし,ほぼ毎晩電話もしているし←,移住後は飲んで乗り過ごして電話すっぽかすこともないだろうし←←,幸せな結婚生活になるものと思います^^^

結婚に関していろいろ思い出すと…。

プロポーズは(直前サウナで)練習した通りにはいかない

ビシッと一言で決めるはずだったんだけどねorz

「結婚三原則」と楽しい(楽しかった)職場

放射線科の医者の友だちの結婚式に列席したら,スピーチの中で「被爆三原則」というのがあった。患者をなるべく放射線にさらさないために,「距離を長く・時間を短く・遮蔽物を置く」というのが鉄則らしい。そして「結婚三原則は,今のを反対にしてください。二人の距離を短く・時間を長く・遮るものを置かない」と。
…という話を同僚の先生に披露したら,その時話していた3人とも「なんだ,その被爆三原則がそのまま結婚三原則かと思った!」という反応だった。笑 いい職場。
たしかに今遠距離婚だけど,その分会っている時間は大事にしようと思うから,「新婚期」的なものが延びてよい気がする。両親とかは「まあ一緒に住み始めた時が大変よ」とニヤニヤしてるけど。負けるもんか。

自分のこだわり(偏り)

結婚式準備。楽しい。「お金は払うから,あとよろしく」的な夫も多いと聞くけど,自分は予算決めてお互いがんばってこう,的なスタンス。Wunderlistを使ってToDoを妻と共有して,タスクの洗い出しをしたりしている。楽しい。こないだは招待状を家で封入して送り終わったところ。ほんでそういうことをしていて気づくのは,自分はこだわりがないようで(変なところに)あるんだなーというところ。
やっぱり結婚して一人の人と近くで密に関わっていく中で,お互いのズレは見えてくる(大体反省すべきはこちら←)。
結婚式に呼ぶ友だちと飲んでたら「君は自分が納得しないことには容赦ないよね」と言われて,これは妻も同意で,俺もそっかそうだなと思う。逆に納得したことについてはきちんとやると思うので,裏表だけど,きちんとコミュニケーション取ってくれるパートナーじゃなかったら厳しかったろうなと思う。

彼女を何と呼ぶか問題

「彼女」っていうと結婚してないみたい。「奥さん」「嫁」はなんか「奥」とか「女が家に」とかいうのを連想させる気もするし,なんか違う。「妻」はもうちょっと年取ってから使う言葉ってイメージ。「パートナー」だと同性カップルっぽいし。
友だちの家でそのご両親とも飲ませてもらったら,奥さんが旦那さんを「ダーリン」って呼んでいて驚いた。どんな呼び方でも,なんというか,慣れの問題なんだろうなと。

精神安定

そんなに気分に浮き沈みが激しい方ではないけど,それでも嬉しいこと嫌なことが日々ある中で,彼女と話す時間はとても貴重。自分がどれくらい揺れてるのか上がってるのか落ちてるのかの参照点になってくれるので,とても有り難い。m(_ _)m

楽しい

毎日楽しい。

退職しました

この3月で,現任校を退職しました。
思えば楽しい職場でした。もっと自由にならんかなと思うタイミングはあったけど,思い返すとやはりそれでもだいぶ自由にやらせてもらった感があります。周りの先生の寛容さ・懐の深さに感謝。
そして授業についても,もっとできることはあったはずだという思いは正直あるけど,それも抱えて,新天地に向かおうと思います。
転職のストレスって,転職先で新たに人間関係を築いて仕事をしていくストレスだとばかり思っていた。もちろんそれはあるだろうと思うけれど,それなりの期間いた職場を去るというのも,相当なストレスね。
ありがたいことに送別会をバンバン開いていただいて,送られまくってたわけだけど,なんだろう,自分の中で感覚が麻痺してしまっているかもしれない。それは送られすぎて麻痺したのかもだけど,無意識に自分の感情をオフにしているのかも。その証拠に?,終業式の日,人と話している時はそこまで感傷的にはならなかったけど,その翌日,祝日ほとんど人がいない中,教員室の整理をしていたら,無性に昔が思い起こされて,全然整理が進まなかった。(書いてて思ったけど,これ大掃除してて昔のジャンプ読んじゃうのと変わらないな。。笑)
特に最後の一年は,クラス担任を持たせてもらって,とても良い経験ができた。一年限りで学校を去ることは決めていたのに「この学校でできることを,なるべく多く経験させてほしい」と頼んでくれた校長,それを快く呑んで,がっつり勉強させてくれた学年主任&学年スタッフの方々には,本当に感謝。もしもこれがなく転職先に行ってたら…とちょっと空恐ろしくもあるくらい。
…とはいえ俺はだいぶ感傷的すぎるらしい。必要十分に切り替えよう。笑

辞任の辞

中学卒業式で話した話

自分とほとんど関わりのない生徒もいたので,まずは時間つぶしにクイズを出した。「ある人がある乗り物に乗りました。すると周りの人は『あなたは勇気がありますね』と褒めました。他にも十数人乗っていましたが,他の人は途中でどんどんその乗り物を降りてしまいました。結局最後までその乗り物に乗っていたのはその人ともうひとりだけでした。するとそれを見た周りの人は,今度は『あなたは勇気がないんですね』とその人をけなしました。さて,この乗り物は何?」これを考えながら聞いていてね,と。

自分が現任校を去るのは,決して不祥事を起こしたからでも,この学校が合わなかったからでも,ましてやプライベートが激変したからでもない(ちゃんと教えている中一が笑ってくれて安心)。じゃあなぜか。
僕は中一が入ってきた最初の日に,「この学校はとてもチャンスが多い学校だから,どんどん手を挙げてほしい」と伝えました。これは本当にその通りだと思っていて,この学校で六年間何もせず過ごすのは,それはそれで楽しくやれちゃうのもすごいところだけど,まるで机の上に勉強道具を広げただけで勉強した気になってるのと同じようなものだと思う。
この手を挙げる,挑戦するって,柔軟体操みたいなもので,やらないとどんどん固まってできなくなるし,慣れていれば挑戦のハードルは下がる。だから,中一の最初の段階から手を挙げてほしい,と伝えました。
そしてこれはそれを言う自分自身にも当てはまっていて,退職して,住む環境を変えて,何かに挑戦をするのって,だんだんしづらくなるんだと思う。もちろん手を挙げた先で何がつかめるかはきちんと考えなくてはいけないけれど,そういうリスクも含めて,自分にとっては,このタイミングが最後なんじゃないかな,と。
ということで,この学校に不満はないし感謝もしていますが,辞めます。辞めると決めると改めて,この学校で得られるものの大きさに打ちひしがれてはいますが,それはそのまま次の環境で自分が得なくてはいけないものの大きさなんでしょう。この学校に残るという選択をしたみなさんは,どうか僕以上のものを得て卒業してください。僕も負けないようがんばります。

とここまで話して最初のクイズに戻る。正解はスカイダイビングの飛行機。「もうひとり」ってのはパイロットですね。それでこの学校もまさにそうだと思っていて,難関校に受かった生徒諸君は,きっと入学時に褒められたはず。だけど,いつまでもこの学校の名前に寄りかかっていては,それって情けないよね。もちろん今すぐ学校を辞めろというわけではないけど,でも目の前にこうやって出ていこうとするやつもいるんだから,在学中だって外に出て活動していいし,どんどん挑戦していってください。みなさんがこの学校で過ごす残りの日々が,実り多いものでありますように。お達者で。

…やっぱり原稿に落とさずにスピーチに臨んだから,後から書き起こそうとしてもgdgdだな。。汗

教職員送別会で話した話

以上のような話を中学卒業式でしたわけですが,このスカイダイビングの話は,まさに自分のことです。つまり僕はまだ転職という飛行機に乗り込んだだけで,それを見て「挑戦するなんてすごいね」と言っていただけていますが,まだ何も成していません。ちゃんと飛び降りられるか,お互い離れ離れではありますが,見守っていただけたら嬉しいです。

辞任の辞の後に話した話

他の先生から,「僕はあなたの中学卒業式での話を聞いていて,この学校が飛行機で,『この人は飛び降りたってことだな』と理解しました。残っている身として何ができるか,考えます」と言われた。たしかに何を飛行機と見るかで全然話が違ってくるな。そういう誠実はレスポンスをくれる先生が何人もいたのも,やはりいい職場だったなあ。

転職します

ということで,この4月からは長野県に移住して,まだ校舎もできていない,これから開校の学校でがんばります。詳しい話は4月になってからのがいいのかなとか思いますが,自分ができること・やりたいこと・やるべきこと,そしてそれ以外を,しっかり見極めたいと思います。
現任校のベテランOBが,「30代前後の若手OBがよく相談に来る。自分が本当に何がしたいのかわからない,とよく言う」とおっしゃっていたけれど,自分もそういった若手の一人なんだなあ。もっと早くにミッションを見つけて脇目もふらず,といきたかったところだけど,「あっちも面白そうだな」的な気持ちで自由に動けるのはこれが最後の機会と思って,がんばろう。

もうひとり,今年現任校を辞めて移られる先生がいる。彼も「この学校を去る合理的な理由はない」と言っていて,そうだよな,合理的だから移動するわけではないよな,と思った(ちなみに二人とも収入は減る)。ただ彼の場合は母校に帰るわけで,そういう感情的な意味での合理性(感情に「理」というのもあれだけど。合情性?)はある。自分は,これから行く学校は小中で,これまで自分がやってきたことがどこまで通用するか,正直未知数。そういう意味で,イケるから行く,というわけではないんだよな。ここでやれたら英語教員としてかなり幅の広い人になれるんじゃないかと期待はしているけど,はてさて*1

ただこういう挑戦をする際に,大事なのはセーフティネットだなとつくづく痛感する。「なんかあったら他のところじゃなくうちに戻ってこい」と言ってくださる先生が多いのは,本当に心強いこと。おかげで自分は「この転職に失敗したらもう後がない!」という感じがあまりなく新天地に行ける。背水の陣のが強いのではって気もするけど,やっぱりそれってだいぶ危ないことだよなとは思うし。

まずは土台となる住環境の整備をがんばってます。安いロボット掃除機を買ったりして。この後は,プチ食洗機買いたいなー!

これからも

よろしくお願いします。新年度は発信マシマシになるはず。なろう。

*1:鉄の体で剣士に負けたことのないMr.1を前にしたゾロの「おれがお前に勝った時…おれは鉄でも斬れる男になってるわけだ」的に言えたらかっこいいね。笑