さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

スーツを脱いで卒業パーティには出るべきだった。

この前卒業式があって,自分が担当した学年の生徒が卒業していった。行ってらっしゃい!
生徒と先生の会が食堂であってから,保護者と先生の会が別会場で*1。そしてその食堂でのスピーチ,どれくらい聞いてくれるんだろうという不安がありつつ,聞いてくれる卒業生,くれない卒業生。後ろの方はうるさいなという気持ちがありつつ,特に注意はできないまま話を終える。
なんかモヤモヤを抱えたままになってしまったことに,一抹の残念さはある。もちろん「聞かれない自分(の話)のプレゼンスの低さ」の表れだから甘んじて受け入れようという気持ちはあったが,同時に,他の先生に対して「構え」てしまった感じもあるのかもなあ,だとしたらくだらない構えだなあ,という感じ。
終わった後,自分とは対照的に,自分の話をきちんと静かに聞かせていた別の先生が「あれも教育の賜物だよね。あんなに静かになって,させたこっちが申し訳なくなる」的な話をしていて,「自分の話も同じくらい聞かせたかったなあ」とか「聞かれなかったなあ」とかいう思いがグルグルしながら,曖昧な対応をしていた。
やっぱり,自分が生徒と対峙している姿を他の先生が見るというのがpressuringなのかもしれない。
密室の中ではいけないよ。開こうひらこう。自己開示のハードルが低い自分ですらこうなのだから,ううむ,先は長いぞ。
ただなんというか,驚いたことに,先は長いのに,来年はもうすぐだ。

*1:生徒との時間の何倍も保護者と過ごす意味は正直よく分からない。多分誰も分かっていない。笑