彼女にしろ自分の生徒にしろ、誰かをモチベートするのは本当に難しい。「がんばれがんばれもっとがんばれ」と「マジで本当にきつかったらやめろ逃げろ」とのさじ加減、どうにか見極められる日が来るのかしら。
— さんだー (@thunder0512) 2014, 11月 10
とまあこんなツイートをしたわけですが、なかなか難しいなと思うことしきり。
・目標を立てる
・それを知人友人に公言する
・達成する
・(達成できなそうな場合)諦める/失敗する
の関係はどうなっているのか。
目標を | 公言する | 公言しない |
---|---|---|
達成する | ① | ② |
できない | ③ | ④ |
①と②を比較すると、周りの人に「あいつは有限実行だ」と思われて、①の方がかっこいいかもしれない。
③と④を比べると、③のが周りの人に若干後ろめたいのかもしれない。
つまり公言する←→しないを比べると、①(成功)のメリットが大きく、③(失敗)のデメリットがやや大きくなる点で、目標達成へのモチベーションが上がる可能性がある。
んでまあ、立てた目標がそのまま達成できそうならいいんだけど、できなそうな場合。
- 目標達成を信じて、最後までやり抜く
- 目標達成できないかもと思いつつ、最後までやり抜く
- 目標を取り下げる(もしくは変更する)
の方法があると思っている。
それぞれの姿勢での、準備期間・結果・成功確率を表にすると、こんな感じ?
準備期間 | 結果 | 成功確率 | |
---|---|---|---|
1.信じてやり抜く | 成功を信じているから悩み少ない | 成功したら嬉しい、出来なきゃ悲しい | 大? |
2.半信半疑でやってみる | 成功できるか不安で悩み多い | 同上 | 小? |
3.目標取り下げ | 成功できるかどうかの悩みはない | 当初の意味での成功はできない | 0 |
3の場合、「自分は目標を取り下げた」という新たな悩みが出てくる可能性がある。
個人的には、目標を立てた以上、1を志向するのが理想だと思っている。
(半信半疑でやるより成功を信じて準備する方が効果的、というのは個人的な感触)
本当の問題は、大体の場合「目標」が外的に固定されて取り下げ/変更ができない、ってことかもしれない。
が、僕はそういう目標設定はいやだなあと思うし、多分英語の先生になるにあたってそういう外的な目標を設定されることって少ないのじゃないのかしら、と思ったから無視。笑
敗けが決まるまでは勝者のように振る舞い、勝ちが決まるまでは敗者のように準備する。
(唐突に今思いついた名言風なのを書いてみた。自分としてはこんな感じで行けたらいいなあ。)
とはいえ、どうも自分の成功を信じられそうにない/マジで無理そうだぞ、ということも往々にして起こる話。
その時に、2を選ぶか3を選ぶかって、わりと"It depends."な話だと思っている。
というのも、成功できないかもと思いながらだと準備に身が入らないだろうから*1、2はあまり得策ではないと思うし、かといって3も、これを安易に許すとずるずる目標を下げるクセがついてしまいそうでよくない。
でも、場合によっては3を選ぶことも必要だと思う。なんらかの事情で目標達成に必要と自分が想定していたリソースを取れなくなったり、そもそも目標設定が無茶苦茶だったと後から気づいたり、というのは非常にあり得そうだから、目標変更・却下は必ずしも悪いことではないからだ。
要は、
メリット | デメリット | |
---|---|---|
2.半信半疑でやってみる | とにもかくにも準備したことは次につながるし、達成できるかもしれない | 悩みながら準備するのはメンタル的にきついし、不達成の時に落ち込む |
3.目標取り下げ | 「成功できないかも」と思いながら頑張るつらさはなくなるし、目標が達成できず落ち込むこともない | 目標達成による幸せは享受できないし、一歩間違うと怠惰への幕開け |
みたいなものを想定して、どっちが自分の幸せに寄与するかをしっかり見極めることが必要なんだろうな。
その時に、今回の記事冒頭でみた「公言する」ことは、3を選びづらくし、2を選びやすくすると思う。
別にそれがいい悪いじゃないけど、公言すること自体が、知らず知らず影響を与えるんじゃないかな、と思った次第。
そもそも目標の設定自体が、達成した時の幸せ度とダメだった時の不幸度に、達成確率pと1-pとをかけて、なんらかのギャンブルとしてやっているわけで、設定するしないも、設定したものを追求するも諦めるも、なんであれ自分が幸せになれる道を全力で狙っていくべきだよなあ。
*1:まあこれに関しては人によるか。焦ってた方が頑張れる人もいそう。ってか俺も昔はわりとそうだったなあ