さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

三文会「レキシのトリセツ」

三文会ブログ » Blog Archive » 4/30【レキシのトリセツ】行ってきました。面白かった。

「歴史」の用いられ方には

  • 価値(ブランドイメージや、履歴書による自分の価値のアピールなど)
  • 手段(国家外交や個人の訴訟等、首長の根拠として用いるもの)
  • 教養(事物の来歴や偉人の事跡を知ることで自己啓発)」

がある。
「歴史」とは、時系列に沿って事物を把握しようとする行為、およびその所産。

「story」と「history」は、区別を設けていない言語もあるらしい。物語対事実、ということだが、どちらかが優れているというわけでもない。
「共感や同調」を生み出す際には「story」が用いられるが、それが人を動かす力を持ってしまうが故に、事実性の担保がないまま「history」として定着するとまずい。→史料と資料の峻別が必要。

  • 史料
    • 当事者/同時代人が残した文書記録。→どの程度事実を反映しているかの検証が必要
    • 一次史料:古文書や記録
    • 二次史料:古文書を基にした編纂物。文学作品
      • これまた一次がエラい、というわけではない。二次史料によって一次史料が修正されることもままある(「大本営発表」と『戦史叢書』)。
    • 文書学による検証。書かれた内容・時代のみならず、どんな媒体に書かれたか、紙の質は、といったところまで気を配る。
  • 資料
    • 史料を根拠として構築された叙述物や図表(論文も含む)。→典拠の明記により、再現可能性がなければいけない。


歴史的言説には、以下の3種類がある。

  1. 史実
    • 「現時点で確認出来る根拠に基づき、検証を経て事実と認定しうる事柄。」
    • 後の時代の検証によって覆されうる、ということでこういった定義をしているよう。
  2. 史論
    • 史実に基づく総合的見解。史実というinformationを基にしたintelligenceとのこと。
    • 鯨統一郎さんの『邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫)』はここなのだろう。おそらく史実としては認定されないトンデモ論だろうけど、あの小説に書いてある範囲では、とてもそれらしく思える。
  3. 史評
    • 歴史的事物/人物に対する評価。「戦国時代最強の武将は!?」とか「◯◯民族は大変優秀だ」とか。
    • 個人的な理解としては、史論になんらかの評価が加わった時点で史評になるのかな、と。
    • 史評のための「史実」が構成されることも。


話はここら辺から、受け手である一般人の僕らに移っていきます。
「歴史」の報じられ方には、

  1. 史料発見
  2. 論文・調査報告・学会発表
  3. 教科書・小説等
  4. 一般化された言説

とあって、歴史家は主に1&2を扱い、歴史愛好者は3&4を扱う。また、1~3それぞれのタイミングで報道がなされるが、ニュースバリューのある報道をしたいマスコミ側と、研究費が欲しい研究者側の思惑が合致し、ひどく大げさに語られることもしばしば。

発表者の方は、こうした現状を踏まえ、以下の3つを提言されていました。

  1. 各種の言説に対して、何を根拠に述べているのかを意識する。
  2. 最初に情緒を刺激してくるものについては特に注意する。
  3. 自己にとって都合の良い、好ましい話こそ慎重に対応する。

→ホントそのとおりだよなあ。「可哀想」「ムカつく」といった感情を抱くと、善かれ悪しかれ思考は止まる。穿って考えれば、まず情緒を刺激するというのは、こちらの思考を止めに来ているのかもしれない、とも。また、信じたくない話は別にほっとけばいいが、信じたい・好ましい話は、それを拡散してしまいがち(最近はTwitterとかあるし!)なので注意が必要、とのこと。→「江戸しぐさ」が例に挙げられていました。笑


「historyとstory」って話は、きっとhistoryのところをscienceに変えても同じように語れそう。
小保方さんの記者会見時に、Twitter上の研究者クラスタが非常に反発をしているのを「そんなに怒るの??」と正直思いながらみていたけど、これはまさに、history/scienceの分野にstoryを持ち込むなよこのヤロー!ということなんだろう。なまじ一般の人はstory好きでありそっちの方がウケがいい分、history/science側の人は戦々恐々なのかもな、と。

ただ、「一般人の持っている科学のイメージ」と「科学の実際」にもあるけど、普通の人は論文に書かれたことは正しいと思っちゃうし、科学者であっても、専門外の分野だったら自分の読んでる論文が本流(一番たしからしい)なのか亜流/異端なのかってきっと分からないと思う。学部時代の先生も、「日本語と英語は周波数違うから〜」みたいな、わりとトンデモくさいことを仰っていたし。

だから、何が正しいのかを一から理解するのはほとんど不可能で、なんか毎度のことだけど、各分野に信頼できる友人がいるかってのが大事な気がする。自分は原発事故後、物理学系の人が特に慌ててなかったから別に東京離脱する必要はないだろうなって思ってたし。ただまあ、

  1. これは本当に「正しい」わけではないよなあ
    • たしからしい判断ができる確率、自分で勉強するコストの削減など、期待値的には最尤(?)な選択だとは思うけど
  2. 自分の「専門」である英語教育において、自分は誰かから信頼されるほどの何かを言えるわけではないなあ死にたいなあ

って感じ。

2週間後に迫った研究要旨提出〆切&修論中間発表が怖いからGWも頑張ろう…!!