さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

金のために働くな

とおじいちゃんに言われた、という話。

 毎年恒例で、元日の夕方(←「元旦」は1/1の午前中のみを指すらしいからここでは使えないよ!←って聞かれてもいないのに言うやつはウザがられるらしい←それくらい言わせたれよ!)は歩いて3分の祖父母の家に行ってお寿司を食べることになっている我が家です。美味しい。
 近年は、自分の成長もあってか、我が家の教育方針的なものが両親・祖父母の会話の端々から感じ取れて、自分のルーツを知るようで面白い。
 そんな今日、おじいちゃんが「金のために働くな。やりたいことをやればいい」的な話をしてくれました。やりたいことをやってる結果として大学院に来て(しまって?)るわけだから、言われずともこの姿勢は身体化されてるのかもなあと思いながら聞いていたけど、この辺の話はまだ自分の中で割り切りはついていないように感じる。のでメモ。

 もちろん「世の中金が全て」ではない。けど、「金が大事」なのもまた事実で、問題は将来的に自分が得る収入に、自分が満足できるか。そのためには、自分が将来就きそうな職業の賃金を調べて、また大人になった途端に必要になってくる諸々の経費を調べて、それを単純に比較して、ってことでいいのかしら。
 貧困率が相対的貧困率で測られているように、自分の収入に満足できるかどうかって、単に自分の生活がどうこうってだけではなく(もちろんこれは前提条件として満足させておきたい気はするけど)、自分の好きな、付き合っていきたい人たちと比べて自分がどうか、って視点の方が重要な気がして、自分はその点苦戦を強いられるんじゃないかなあというのが率直な予感。
 そんなことどうでもいいよなあと頭では考えているくせに、それがあんまり腹落ちしてないのかもしれない。あとはまあ、親の老後に満足な生活をさせてあげられるのかってのも地味に切実な気がする。お金かけて高価な老人ホームに入れておけばそれでいいのかって話もあるけど、選択肢としてそれもできるって状態にあるのはやはりよいことな気がする。弟が立派な研究者になってガシガシ稼いでってのに期待するか。笑
 あとそう、結婚ね。「私より稼ぎがある人のところに嫁いで、早く仕事辞めた〜い」と言いながら超有名外資でガッシガシ働いて稼いでる女の先輩がいて、まあそこまで極端な人も珍しいと思うけど、ガシガシ稼いでる人はやっぱりある程度そういう経済面・社会的地位面に重きを置いているからそういう働き方を選んでいる側面が少なからずあるんだろうなあと思う。となるとお金を稼ぐ人たちは稼ぐ同士で結婚して、そうでない人はそうでない人同士で結婚するなんてのがmost likelyな気がする。
 働く前から謎のコンプレックスに支配されてちゃ世話ない。自分がいちばんそういう面に価値を置いているのかもしれない。あと稼いでる人で「金のために働いてます」って公言する人はあんまりいない気がして、とするとこういう考え自体がもたざるもののひがみみたいになりそうね。


 元日から何言ってるんだっていう話ですが、気になったことはその日のうちにメモっとかないと忘れちゃうので。今年もよろしくお願いいたします*1

*1:と思ったら寝落ちして2日になってしまった。しまった。