さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

外国語学習の科学〜SLAの知見をいかに英語教育に活かすか(ピッツバーグ大学・白井恭弘先生特別講演)@全国英語教育学会

学会に来ています。北海道に来ています。涼しいです。東京の皆さんこんにちは。
僕は初日に諸々の注意資源を使いきっておりますが、ふり絞ってメモを取ったので、白井先生の講演の議事録を公開したいと思います。
不正確な部分もあるかと思いますし、正確であっても浅いまとめでありますので、
さらなる疑問点は以下の記事中に紹介する先生の著書や、さらには専門書等でご確認いただけたらと思います。
ちなみに◯印は、スライドの切り替わりやテーマの切り替わりを示していますが、正確なものではありません。また、「←」の後にあるのは僕の個人的な感想です。すみません(in advance)。
(また、不適切な部分(こうしたまとめを公開すること自体が不適切、という意見も含む)を発見された方は、コメント欄でご一報いただければ幸いです)
では、以下に早速まとめさせていただきます。



◯浦野先生による他己紹介。オーディエンスの3割くらいは、既に先生のお話聞いたことある!


◯自己紹介(Cathedral of Learningのスライド)・自著のお話:『外国語学習の科学』は6万部売れている。

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)


(別にアフェリエイトではないので、ご安心してお買い求め下さい!笑)


他にも色々な本を書かれています。
英語教師のための第二言語習得論入門
ことばの力学――応用言語学への招待 (岩波新書)
英語はもっと科学的に学習しよう SLA(第二言語習得論)からみた効果的学習法とは
外国語学習に成功する人、しない人―第二言語習得論への招待 (岩波科学ライブラリー)
今さら訊けない・・・第二言語習得再入門
(順不同。一番最後は、今日紹介はされていなかったけど自分は読んでましたってのをアピールする意味でも紹介。面白かったです!)


「同じようなことが書いてある」という批判もあるが、異なる想定オーディエンスに伝えるためにメッセージを微妙に変えている。
最新本『ことばの力学〜応用言語学への招待〜』の「応用言語学」は、「言語教育に応用」ではなく、「言語科学の知見を、社会の諸問題に応用」の意味。
手話の例 from 最新本(手話が自然言語ではないという偏見から母語を得られないままの聴覚障害者がいる)。
Evidence-based societyを目指す。


◯外国語学習の科学(岩波新書)の目次スライド:講演のアウトライン
今までは全部話そうとして最後まで行かなかったが、最近では絞っている。個人差の話辺りから始める。


◯3章「外国語学習における個人差」

  1. 若い
  2. 学習動機が強い
  3. 適性が高い
  4. 母語が学習言語に似ている
  5. 学習法が効果的である

以上が個人差を生む条件として存在している。
→2と5しか変えられない。


◯SLA的な考え方で大事なこと:学習者中心
それまでは、教師がこうやったら生徒はこうなるはずだ、という姿勢があった。学習者の学習過程をつかもうとしている。
←学習者が何を理解しているのかに着目するという姿勢は、質的研究につながることがあるなあ。
高校教員時代にSLAを始めて、45人の生徒の頭の中で何が起こっているのか、を常に考えるようになった。effectiveな認知行動をするように仕向けた。
こうした考え方自体がSLAの有効な知見といえよう。今日はスライドに入っていないけど。
←えええええ!超聞きたかった!


◯効果的な学習法とは、
1. 言語の本質にあった学習
2. 言語習得の本質にあった学習
3. 個人の指向にあった学習法
今日は1・2にフォーカス。
(3の例としては)例えば、文法能力の適性が高い生徒・暗記能力の適性が高い生徒それぞれにそれぞれの授業を施したら、確かに適正に合った学習方法のが、伸びたし、授業満足度も高かった。これを適正処遇交互作用という。
文法・音声認識・暗記の3本柱で(適性を?)捉えるのが有力な説。音声が弱い子に対して音声のみで授業をしても効果的な学習法にはならないだろうということを我々は意識しておくべきだろう。


◯言語の本質とは?言語ができるとは何か?
文法単語信仰が根強い。
文法能力(linguistic competence: 音声・単語・文法の能力)・談話能力(discourse competence: 一文以上をつなげる能力)・社会言語学的能力(sociolinguistic competence: 社会的に「適切」な言語を使う能力)・戦略的能力(strategic competence: 問題が起こった時処理する力)
←Canale and Swainだッ!(年号は忘れた。1980っぽい)
コミュニケーションできなくていいなら文法単語でいいけど、そんなことを言っているのは日本だけ(小さく会場笑う)。このテーマは明日また話す。
←明日のシンポジウム楽しみッ!!


◯単語と文法だけではだめ
(その根拠としては)言語には規則で割り切れる部分と、記憶に頼るべき部分がある。


◯「自然な表現」
I want to marry you.*My becoming your husband is what I want.
単語・文法は合っているのに、後者の文はなぜか変と分かる。その知識はどこから来るのか?
これ(この知識?)が、言語習得の本質。


◯規則と記憶を両方意識して学習。
文法だけでは割り切れないことをまず自覚する。
規則←(中間のもの)→記憶
Hold your horses! *He held his horses.
※過去形では使わない。
He spilled the beans. *The beans were split.
※受け身では使わない。
記憶するしかない。相当な量のインプットがないと。


◯ではどうしたら言語能力がみにつくか:言語習得の本質とは
インプット仮説(Krashen):インプットを理解することで言語習得が起こる
自動化理論:明示的知識を徐々に自動化して言語習得が起こる


◯インプット仮説
インプット理解により言語習得はおこる
アウトプットは必要なし
明示的学習は、発話の正しさをチェックする能力のみに寄与する
証拠: 沈黙期(L1, L2問わず、ずっと黙っていたのに、突然話しだす子どもの存在。日英同時に話し始めたりする子どももいる。)
Comprehension approachの効果(TPR, イマージョン)
疑義:TVだけ観てたら習得できない・聞いてわかるけど話せない受容バイリンガルの存在
(親は自分の母語(例:スペイン語)で子に話しかけるが、子どもは周囲の友だちと同じ言語(例:英語)を使う。親はその言語(英語)もわかるから、子は親に親の母語(スペイン語)では話しかけない。結果、親の母語(スペイン語)は理解するが産出できない人に)
→聞いているだけで話す必要がないとダメ


◯実際に話さなくても、頭の中で(無)意識的にアウトプットする(リハーサルする)ようになることが大切。


◯なぜインプットが習得できるか。予測文法の存在
I gave him _______.
母語話者はその次を予測している。
←予測文法があることが何を意味していたのかは謎。言語習得が進むにつれ予測文法も確立されていくということから、自動化理論の立脚点を批判するものってことか。確かに自分も英語母語話者と話してて、相手の話す言葉の先を読んだりすることもあるけど。


◯自動化理論
最初に明示的知識をみにつけ、練習することにより、自動的に使えるようにする
[宣言的知識]―自動化→[手続き的知識]
こうした図式は正しくも見えるが、以下のような問題点もある。


◯根本的な問題・限界:
1. 複雑な言語ルールを全て明示的知識として習得するのは無理
2. 自動化そのものに限界がある(3単現の-s:頭でわかってても使えない)
1.から分かるように、自動化理論は、母語習得に関しては破綻している。第二言語習得にもある程度使えるかもしれないが…。


◯両理論の比較(このタイトルは完全に僕の独断で付けました)
 インプット理論:L1, L2ともに使える
 自動化理論:主としてL2
外国語学習においては、両者を最大限に利用すべき
→現状は?→インプット理論が無視されているよね。さらに自動化理論を使っていても、自動化するところまで行っていない(行かなくていい、とまで言う人も)。


◯言語習得のまとめ(このタイトルは完全に僕の独断で付けました)
(1)言語習得の多くの部分は、メッセージを理解することによっておこる
(2)意識的な学習は、
2-a.発話正しさをチェックするのに有効
2-b.自動化により実際に使える能力にも貢献
2-c.聞いているだけでは気づかないことを気づかせ、(1)の自然な習得を促進(noticing)。
自動化練習もアウトプット練習もいいけれど、基本はインプット。誰にも教わらないで身に付く知識は、たくさんインプットする中で身に付く。
←ものすごくインプットを強調されていた。コミュニケーションだータスクだー活動だーアウトプットだー!という流れに対して懸念を抱いて(このコロケーション合ってる?笑)いらっしゃることが伝わってきた。


◯効果的な外国語学習法・教授法


◯外国語教授法と「科学」の関係
言語学と心理学による教授法
・オーディオリンガル・アプローチ(構造主義言語学+行動主義心理学):日本ではオーラルアプローチ
「ドリルにより、音声・文法構造を習得」、L1とL2の違いを対比(対照分析)し、「母語の干渉を最小限に押さえる」


◯オーディオリンガル方式で教えてもなかなかうまくならない。
対照分析仮説に反証。理論的基盤の失墜
→オーディオリンガル教授法からコミュニカティブアプローチへ。


◯形式中心(オーディオリンガル)から意味中心(コミュニカティブアプローチ)へ
オーディオリンガルの欠点として、意味を考えなくてもできてしまうということが挙げられる。ものすごいスピードで浴びせられる音(形式)と意味を結びつけるという、言語習得で一番大変なところをやっていない。
英文和訳も同様である。日本語に完璧に訳したけど意味がわからない、なんてことも起こる。
科学的基盤は「言語学+心理学」から「第二言語習得」へ。


第二言語習得研究
それまでの理論優先・トップダウンの外国語教育理論から、
データにもとづく研究へ(Corder 1967)。
これが第二言語習得という分野のbeginning。
ちなみに先生は「『開始』って言うとなんかね。なんて訳すんだろう」的なことをおっしゃっていました。なかなか言語学的な現象ですね…!!ただ、「始まり」でいいのでは、とも思った。笑
誤用分析・中間言語分析など。


◯習得順序研究:どういう順序で教えても、習得する順序はあまり変わらない項目が多数ある
「教えたからといってすぐにできるようになるわけではない」ということ自体が、第二言語習得研究の重要な知見。コペルニクス的転回。
生徒ができなかったら、自分が悪いか、教え方が悪いか、生徒が悪いか、と考えてしまうが、「教えたらできるようになるはずだ」というbelief自体が正しくないということを示した。
←どうやって示したんだろう…。
どうせすぐ習得できないから教えるのあとでよい←→すぐ習得できないからこそ早い段階で教えよう(白井先生は後者)
ただ、どちらにせよ3単現の-sができないからといって目くじら立てる必要はない。
←「80%くらい正しく書ければいい」と白井先生は確率的に捉えているのが面白い。0か100かではないよなあ。


◯コミュニカティブアプローチ
最初から言語をコミュニケーションの手段として使う
←「最初から」というのが大事なところかと思ったら、そうでもなかったようですwそこがないと「言語ってそもそもコミュニケーションの手段だから、いまさらコミュニカティブ言われても」という批判を受ける気がする。
1. インプットモデル(インプット仮説)
2. インプット=インターアクションモデル
後者の方が「教え方としては」人気がある模様。


◯インプットモデルか、インプット=インターアクションモデルか?
インプットを取るか、アウトプットを取るか、という問題。SLA研究者の間でも議論がある。


◯ただ!SLA研究者のあいだでも、インプットが言語習得の必要条件であることに異論はない(Swain, 1985)
アウトプットの役割に関しては、議論がある
→インプットなしでは言語習得は起こらない


◯現在の論争点
Input processing (e.g. VanPatten←Krashenの後継者 2004)

  • Grammar changeはインプットによっておこる

Output Hypothesis (e.g. Swain 2005)

  • Inputだけでは、十分な習得はおこらない


◯アウトプット中心のドリルワーク(ペアワークなど)にあまりにも時間を費やすと、一番大切なインプットが足りなくなってしまうという問題がある。
新しい知識はインプットからしか入ってこない!
←だいぶ強調されていました…!!


◯Input仮説の落とし穴
インプットをcomprehensibleにするには、言語外の情報、知識などを使えばいい(Krashen)
例)昨日のサッカーの試合について、教師が授業冒頭で英語で話す。
Input理解は、文法処理をしなくても単語(内容語)処理できてしまうことが多い(VanPatten, Swain)
例)Yesterday, John walked three miles.(文法処理不要:semantic processing止まり)
Today, John walked three miles.(文法処理必要 :syntactic processing)
コーパスでは、文法処理不要な文章が多い。
←ここでの「コーパス」とは、authenticな文脈、とも言えそう。


◯学習者は、semantic processingで止まってしまう傾向あり
Syntactic processingをさせるためには、どうするか?
1. アウトプット派はアウトプットによってそれを行わせる(Swain)
2. 文法処理が必要なinput処理をさせる(VanPatten)
3. 文法指導をする


◯Outputの効用(Swain)
1. 自分のL2のgapに気付く
2. 相手の反応により、自分のL2が正しいか、仮説検証
3. 学習者が自分の言語について話す(metalinguistic function)
2は、相手の英語力次第
3は、まあどちらでも。
→日本では1が一番大事ではないか


◯Outputの効用
自動化(Ellis, VanPatten)
しかし、これまでの研究で、アウトプットそのものが言語習得につながったという結果はあまり出ていない(アウトプットをみる研究でも、大抵インプットもしているので…)


◯Input + outputの必要性が重要
Interaction → inputの順の方が、input → interactionの順より効果的(Gass & Alvalez torres, 2005)
Outputすることにより、inputの必要性が高まり、inputによる習得がすすむ(学習者のインプット処理を上げるためのアウトプットという位置づけ)
また、アウトプットさせることでinvolvementやmotivationに対する寄与もある
そうしたことを押さえた上で、inputとoutputを組み合わせることが大切


◯インプットとアウトプットを組み合わせる
インプットを増やす(アウトプットは、インプットの必要性を感じさせる程度で十分)
同じ教材(もしくは関連教材)を使ってinput→output→input
アウトプットからは新しい知識はうまれない(すでに自分の知っていることで何かをするだけ)
←また、本日の飲み会でお話を伺った先生は、「アウトプットによってメタ認知的な知識、すなわち自分の言語知識に対する知識は身に付く」と仰っていました。確かに。
←ただ、白井先生は、「ただ何も考えずに読ませる音読でアウトプット」みたいな適当なアウトプットが増えていることにも別の講演で懸念を示されていたと思うので、そうした流れに対するアンチテーゼとしてあえてここまで強く言い切っているのかな、とも思いました。


◯最後にインプットするの大事だな、と気づいた。
最後にproductionを入れた活動を村野井先生はやっているが、最後に再度comprehensionを入れることを白井先生が提案したら、村野井先生も同意されていた。


◯先生自身の実践(高校英語)
文法は家庭学習に回す、授業はcomprehensible inputを与える場に。
L→R reading (T-F questions)
(どんな子でもそれなりにできるのがT-F question、とのこと)。
偏差値10上昇!
→インプットの量が10倍以上に。


◯楽しく活動している、というだけでは宝の持ち腐れ。「大量のインプットがなければ」という視点を持つ必要がある。


◯Q/A(時間がないから1問だけ)
Q: 「学習者中心」とおっしゃっていたが、その「学習者」の見方について。先生のおっしゃっているのは、インプットを大量に受けてアウトプットをしつつ言語を習得していくという、ある一定のアルゴリズムを持った「メカ」としての学習者。学習者を情報処理する「メカ」とみていく第二言語習得研究にすがることに不安を感じている。
実際のアウトプットの場面では、様々な情報を使ってアウトプットをしなくてはならない。それほどチップを持っていない学習者はどうすればいいのでしょうか。


A: 社会文化理論・エスノメソドロジーの関係の人ですか?(会場、小さな笑い)
自分はquantitativeの界隈の人=SLAのメインストリーム的な人。それに対して質的な研究が80年代後半から出てきている。2つの研究は矛盾するわけではない(epistemologyな部分では矛盾するが、ここでは割愛)。同じような教授過程をマイクロにみているのが質的研究。
優秀な研究者は、質的研究と量的研究のどちらもできる。どちらもみて、どちらからも学べる。
←epistemologyな部分というのは、構築主義と実証主義、的なやつですね!?(浅)この辺が本当に難しいと最近思っていて、安易に「質的研究と量的研究のミックスだ!」と言えない気がしている。だって根本的に違うっぽいんですもの。


実際の言語使用というのはあまりにもバリエーションがあるので、それができるレベルまでインプットでもっていくのは難しい。その際考えられる対応は2通り。
1.English as a Foreign Languageなので、箱庭的な言語材料・言語使用になるのは仕方ない
→ある種の開き直りか。ただ、最近の教科書は改善しているとのこと。SLAの研究者が教科書作りに参画したりしている
2.個人差に対応したインプットを考えていく必要がある
→個々の状況において必要なインプットを自分で選べる。どんな学習活動をしたいか選ばせ、やらせて、記録させ、提出させる。自分の興味に合った活動ができる。
→本当はこの辺の話もしたかったが、時間切れで出来なかったとのこと。



個人的には、SLAはすでに日本の英語教育に入ってきているよ!というお話が面白く、またQ/Aでみえてきたお話は、本当に本当に興味がある。
外野としてみている分には「興味がある」とか言ってられるけど、自分が研究に入っていくとしたらさあどうする?って感じだよねえ。
また、亘理先生がTwitter上で提起されていた問題意識も非常に興味深い。

「大量のインプット」という時のインプットはcomprehensible inputだとして、白井先生とか社長とかが口を酸っぱくして強調してるにもかかわらず、なんでそうなっていかないかってことは、そろそろちゃんと考えてほしいけどね。実現している所としてない所の違いは何なのかとか。
(https://twitter.com/wtrych/status/366448555348598784)

それへのリプライで白井先生は、英語の先生がSLAを学んでいたか否かがその違いを生むという仮説を提示されていたが、果たして本当にそれだけなのか、というのは検討の余地があるように思えた。
…と書いてしばらく考えたけど、他の仮説を提示できるわけでもないっていう。ただなんとなく、先生個人の問題に帰属させるのは危ういのではないか、それこそ「教師がこうやったら生徒はこうなるはずだ、という姿勢」なのではないかとなんとなく思ってしまっただけです。笑


明日も頑張ります!楽しみ!!(と書いたのは8/10ですが、上のTwitterに関する追記を書いたのは8/11なので、なんだか変な感じ…。笑)