さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

Co-噺(by SoLaBo)

行って来ましたこちらのイベント
1500円で、三遊亭兼好さんの落語を二席・ビール2杯・おつまみ・自己紹介等ワークショップが受けられる超絶お得な会でした(会場が横浜なので往復1200円くらいかかるけど、それでも!笑)。
現地でガリガリメモを取っていたのですが、酔っていたのかそのメモ自体を忘れてしまったので、記憶を頼りに備忘録を。メモの意味ねー。


まずは三遊亭兼好さんによる落語。「高砂や」。あとから聞いた話では、3つくらいの選択肢を頭に描きながら高座に上がって、お客さんの様子を見てこの噺に決めたそうです。さすが。


また、兼好さんは結婚式の司会として働いていたこともあるそうで、挙式直前の男女をみるだけで彼らがすぐ別れるかどうかわかるそうです。いわく、女性がたくさん話していて、

  • 男性が黙って任せている→長続きする
  • 男がたくさん話していて、女性が任せている→長続きしない

だそうです。俺はきっとよくしゃべるだろうからおそろしいわ…笑
あと司会者という他人が側にいるのにべたべたするカップルは、ちゃんと長続きするか速攻で別れるかのどちらかだそうです。笑


さらに興味深かったのは、男女の話し方の差。
男性のみのグループで話していて、たとえば「オバマ大統領は黒人系だけど、両親はどこの出身なのか」といったテーマが出てきた場合、男性はまずその一点を解決しようとする。やれハワイだアフリカだなんだかんだ(多分自分だったら検索かけてるわ…笑)。


しかしこれが女性の場合。
「オバマ大統領の両親ってどこの出身なんだろうね」
「さあ?でもうちの理科の先生に似てる」
…これはいい着眼点w


その後周りの人と初見の印象について言い合うワークショップ。俺は「水泳、野球、理系、妹いそう、鉄道博物館、自転車通勤、」なんて言われました。理系コンプレックスの身としてはなんとなく嬉しいとも思ったけど、普通にもっとおしゃれしなさいねって意味なのかなーとふり返って思いました。笑
その後兼好さんのコミュニケーションに関するお話をはさみつつ、「どう見られたいか」の話し合い。ここの時間が短すぎて正直あんまりワークショップとしては機能していなかったようにも思えますが、なんとなく面白かったこととしては、
4人テーブルで僕ともう一人大学生の女の子は、「本当はこうなんだけどそう見られない」というのに悩んでいて、残り2人の社会人の方は「もうさすがに自分の生き方がにじみ出るのは仕方ない」「女性的に見られることが多いが、実際は男性的な面もあるので、そこを後から知ってもらえることを楽しんでいる」など、やっぱり人生経験が出るのかな―と。
そこから兼好さんの話になって、「『こう見られたい』というのはたいてい成功しない。でも落語家というのは『どうせこう見られるなら』というところから始められる職業だ」とおっしゃっていました。悪いやつっぽいと思われたらそういう風に振舞っておいて、ちょっと良いことしたらすごく良い人に見られる、とか。ただ一般の人は悪く見られるのがまず損、などの事情があるからある程度コントロールできるといいのかもね、と。


男女の話し方の違いを理解したうえで、ストレスない会話を心がけられたらいいね!
そして待ちに待った質疑応答コーナー!「コントやってて自分の出せるキャラに限界を感じることがあるのですが、落語家さんは子どもや女性など幅広い役を演じ分けるとき、どうやって役作りをしているのですか」と質問してみたところ、
「落語はお客さんが頭の中で作るもの。例えば一席終わった後に『どんな話だった?」と聞かれた時、聞かれた方の頭の中にはその落語家が出てきて動きまわるんじゃなく、その落語家の噺を聞いて自分が作り上げた架空の女性・子ども等の登場人物が出てくる。その意味で、最初にいくつか特徴的な動き(この動きなら女性、この動きなら子ども、など)が出来てしっかり入り込めれば、あとはお客さんが頭の中に勝手に作ってくれる。コントだとやっぱりその人が出るというか、衣装等で見せる部分もあるからだいぶ違うと思う」とのことでした。なるほど!


その他、「1センテンスを言う時ずっと同じところを、見ていると話下手っぽい」などプラクティカルなアドバイスもいただきました。まあ、この前柳家三三さんの講演聞いた時にも、2秒くらいで目線を動かしていたのに気づいてはいたけどね!(ドヤ


あとあと、落語家は前座修業を3年くらいするけれど、これによって「落語家の空気」がはっきり身につくそう。素人でも落語家より落語が上手い人はいるが、この「空気感」といったものは出ないという。
彼が「空気感」としか呼べないものがなんなのかとか、興味深い研究対象だよなーと思ったけど、それは岡田研究室のあの院生さんがきっとやってくれてるんじゃないかと思うのでやっぱり僕は英語教育系で何かやってみたいと思います。
でもさ、多分その職業をプロとして数年やってると「◯◯っぽい」という空気感はついてくる気がする。教員とかもそうだよね。何がそれを分けるのか、といった研究はおそらく教員分野ではされているだろうから、いずれ調べてみようっと。