- 作者: 金子郁容
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/02/08
- メディア: 新書
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トイレ読書終了しました。そろそろ「トイレ読書」ってタグつけようかな。
最近なんとなく気になっている「学校評価」というジャンルについて、そのものずばりの本を以前ブックオフで買っていたのでトイレで読んでみました。以下、いつものように手抜きで引用を多めにご紹介。
教育改革の問題点としてよく挙げられるものとして、
【問題点1】硬直的、画一的、柔軟性に乏しい
【問題点2】閉鎖的、地域や保護者との連携が不十分
【問題点3】自ら改革に取り組む意欲が不足している
ということを挙げ(p. 27)、それに対する教育改革のキーワードとして、
【キーワード1】多様な選択肢
【キーワード2】信頼される学校・アカウンタビリティ
【キーワード3】開かれた学校
を挙げています(p. 28)。また、こうした改革の潮流の原点は、「顧客起点」と「成果起点」の2点にあるとしています。
学校評価は大学入試や就職試験のときの合否を決めるためのものとは違う。また例えば、環境基準や医療水準の決定や宝石の鑑定などのように、何らかの専門的な、または法律によって定められた絶対的な水準によって行われる評価とも違う。大学入試や宝石鑑定の場合は、一回評価が下されればそれで用が足りる。それに対して学校評価の場合は、評価をするとそれで終わりではなく、むしろ、そこからプロセスが始まるものである。(p. 47)
ただやはり継続的に実施するには作業量の多さがネックになっているとのこと。
その後、イギリス・アメリカの学校評価の例を紹介している。
たとえばイギリスに関して。
イギリスの教育改革はサッチャー政権期に大きな転換期を迎えた。(中略)主なものを拾ってみると、①ナショナル・カリキュラムの制定、②全国統一テストの実施、③自律的な学校経営のための教育行政システムを定めたLMS(Local Management of Schools)の導入、④学校選択制の導入、⑤教育監査の権限強化、などがある。
サッチャーによる教育改革は、ともするとその中央集権的な側面だけが強調されるが、実はそれだけではない。学校の経営は学校と地域で行うという、分権と自律性も徹底されたことに注意したい。(pp. 68-69)
この流れはメジャー政権に引き継がれ、NPM(New Public Management)の考え方が入ってきて、1996年ごろから統一テストの結果が一般に公表されるようになった(統一テスト自体は1988年の教育改革で方針が示されていたとのこと)。
これに関して特に「へー!」と思ったのが、
サッチャー改革の狙いは学校教育に「市場原理」を持ち込んだことだと言う人がいる。それは必ずしも適切な表現ではない。「競争原理」と「結果責任制」は働いているが、純粋な「市場原理」ではない。たとえば、定量・定性の評価情報は公的機関によって管理され提供されている。成果が出てない学校は「自然淘汰」されるわけではない。実際、問題ありとされた学校を対象にした、かなり念入りな公的支援策が用意されている。その上で、一定期間に改善が見られない場合には、学校閉鎖、統廃合という措置が取られるのである。
なるほどねえ。日本で統一テストを行うとかその結果を公表できるようにするとかの話が出てる気がするけど、こういう風に「しんどいところに重点的に支援する」っていう方向にきちんと行くといいのだけど。
そして第三章からいよいよ学校評価をどうデザインしていくか、という話になる。今学期とっている「プログラム評価論」に似たお話。目的を明確にして、なんらかの指標で把握可能な形に落としこんで、継続的に計測していく、という流れ。
こうやって抽象的な話をする場合は分かりやすいんだけど、いざある地域の教育の目標を共有していこうとする試みの困難さは容易に想像できるよな…。
大枠レベル:政策・制度に関するもので、教育委員会や自治体・国が実施主体となる
実施レベル:学校・コミュニティが実施主体となる
という2つのレベルを考えているようで、本書では後者が主に説明されていたように思います。
そして、学校評価を考える際には、新しい社会運営について考える必要があると、筆者は説いています。
- 権限に基づく問題解決―ヒエラルキ・ソリューション
- 市場を通じた企業活動による問題解決―マーケット・ソリューション
- コミュニティによる問題解決―コミュニティ・ソリューション
イギリスの学校評価システムのメカニズムは、三つのソリューションの組み合わせになっていると考えると分かりやすい。統一テストの結果を公表することで競争状態を作り出しているのは、マーケット・ソリューション手法を、一部利用していると見ることができる。一方で、国の関与がデザインされているという意味で、ヒエラルキ・ソリューションも随所で利用されている。すべての学校が定期的に統一テストを受け、結果の公表を義務づけているというのは、マーケットの要請ではなく国が決めたことだ。成果があがらない学校が最終的には廃校になるのは、利益が上がらない企業がマーケットから撤退するのとは違い、国による「強権発動」によるものだ。評価情報の提供や流通については、国が直接携わることで情報の信頼性を担保している。一方で、LMSは典型的なコミュニティ・ソリューションのアプローチである。(pp. 118-119)
前者2つには、罰則や自然淘汰という罰があるため、改善へのインセンティブがあるとされるが、コミュニティの場合はそもそもその地域のソーシャル・キャピタルが希薄では実施が難しい面があるが、コミュニティ・ソリューションに取り組む中でソーシャル・キャピタルが育まれる場合も多いので、にわとりたまごの様相を呈しているようだ。
その後は、SQSという、学校評価実行のためのITシステムの実例などが紹介される。やっぱこういう事務作業で効率よく行けるところは無限に効率よく行きたいよなあ、と思う(が、自分では絶対できないな、とも思う)。
以上!
次のトイレ読書は…
- 作者: 橋爪大三郎,大澤真幸
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