さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

同窓会にて

20分でガーッと書いてみようシリーズ(不定期)

毎回同窓会は考えさせられる。
ホントね、地元でよく集まる人たちと僕自身は全く違う世界を生きているわけですよ。
タバコとかバイクとか、なんかそういうのが主な世界。大学行ってる人もいない。

大学行ってる人たち同士で集まってるグループもあるみたいだけど、そっちは6年生の時のクラスで集まってるみたいで、俺は別のクラスだったから呼ばれないし。ちくしょう。

んでまあ、ホントに違いすぎて話もなかなか合わないわけですよ。だから適当ないじりをして(というか俺が一方的にいじられてるだけ感もw)、なんとなく過ごしてることが多い(と感じる)。
もっとちゃんと色々話をしたいなあと思ったりもするんだけど、ただそこには、「話を合わせないことでお互いのアイデンティティを守ってる」みたいな面もあるのかなあ、と思ったりもする。

例えば誰かが「俺今ニートだよ」って言った後に、「◯◯(僕の名前)、お前もニートだろww」みたいなことを言われて、
「いやいや、エデュケーション受けてるよ」と返したんだけど、当然のように「横文字使うなよww」と返される。
NEETがなんの略かとかそういうレベルじゃなく、エデュケーションという「横文字」に対する拒否感があったみたいだけど、
なんというか冷静に考えて、僕は「エデュケーション」という言葉がその場に通用すると思っていたわけはないよなあ、と思うわけです。

じゃあなんでその言葉を使ったのかって言われたら、もちろん自分が慣れ親しんでる言説を、その場に合わせず使ってしまったってのもあるけど、
こうした言い方には、「僕は君たちと違う」っていうのを示す機能があって、それを無意識的に選びとったのではないか、とも考えられる。
それに対する「横文字使うなよww」という反応は、「確かにお前は俺達とは違うな」っていう承認でもあるのかも、と。

普段自分が付き合っている人たちと比べて、この同窓会の人たちの言動の攻撃性は高い(というか普通に「一回自殺しろww」とか言われるしめちゃめちゃ叩かれる(物理的に)しな。笑)けど、それから僕が受けるストレスと同じくらいのストレスを、自分の存在が彼らに与えているんじゃないか、って思うような瞬間も確かにあって、やっぱり面白いなあと思うわけです。


俺はそれを面白いと(まだ)思えてるからこういう会にも参加させてもらおうと思うけど、彼らは楽しいと思ってくれてるんだろうか、というのはとても気になる。