- 作者: 金谷憲
- 出版社/メーカー: 研究社
- 発売日: 2008/11/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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非常に軽めに書かれているのですいすい読めました。
著者である金谷先生は学芸大の教授ですが、今学期出張授業をされていて、僕もその授業を取っていました。
現場から政策決定まで幅広く関わっていらっしゃり、非常に常識的な人だなあという印象でしたが、それを裏付けるような本でした。
今回の企画は、常識(コモンセンス)で考えれば、おかしい、あるいは不可能である、ということがすぐわかることが、なぜ大々的に主張されるかを、例をあげながら考えることで、社会現象としての英語教育熱とその影響を分析することを目的としている。
(まえがき、p.iv)
とあるように、常識的に考えようよ、という趣旨の軽めのエッセイ集です。
Part I: 常識が停止するとき
Part II: 常識が通じなくなるわけ
Part III: 常識を取り戻すために
として、現状分析→その背景→解決への提言、という流れで話は進んでいきます。
概ねどこかで見たような話ではあったものの、よく見かけるような言説を「常識」で批判しよう、という趣旨なので別に問題ではない上、
- 中学校検定教科書の本文をペーパーバックに換算すると19ページにしかならない(p.4)
- 文法中心の教育を脱却するのに躍起になりすぎて、コミュニケーション能力をどう育成するかの細かすぎる議論が行われている(pp.127-132)
などいくつか目新しい話もありました。
特に二番目の話は、文法知識という「黒い重箱」の隅をつついていたのが、コミュニケーションに関する知識という新しい「赤い重箱」の隅をつつき始めた、という比喩は面白かったし、
自分の研究計画書に対するツッコミにも聞こえて耳が痛くもありました汗
一番面白かったのはPart IIIで、非常に常識的な提言として、
- 国民一般のレベルでは最低限、高校卒業時点までに現行の中学3年間で習う範囲の英語(英検3級程度)の定着を目指す。
- 仕事上、英語を必要とする人々には上記の基礎力を踏まえて、より高度な運用力を身につけるような教育を実現する。(「高度な英語運用力」とは例えば、英検1級、TOEIC900点、TOEFL600点以上の英語力。)
が挙げられていました(p.147)。
国民全員が同一の基準を持って英語を学ぶのは現実的ではないから、
そこそこでいい人には高校卒業までに現在の中学内容を「定着(=それを使いこなせるレベルに到達する)」させ、
仕事で使う人には専門的な教育を選択制で施す、というのは、かの「平泉試案(=1970年代に自民党の参議院議員である平泉渉さんが、英語を義務教育から外そうとして作成した教育改革試案。詳細は英語教育大論争(平泉渡部論争)をできるだけ短く要約する - こにしき(言葉、日本社会、教育))」にもみられるような、常識的な提言に聞こえます。
本提言が実現された際の「英語教育体系全体イメージ」として挙げられていたのは、
- 国民全体に対しては、実効性の高い基礎英語教育を中学で実施し、高校卒業時点までに高校生全員がこれを修得することを目標とする。
- 英語を必要とする社会人に高度の英語力を付与するために、大学での英語に寄る一定割合の講義を義務づける。また、公務員の資格として、一定の英語力を求める。
- 高校での英語教育では、基礎英語が習得できていない生徒については、基礎英語を修得するまで必修、それ以外の生徒については、基礎英語以降の英語は選択必修とする。一定割合の講義が英語で行われる大学・専攻に進学することを目指す高校生は、英語の講義が理解できるようになるための特別の教育課程を選択履修できるようにする。
というものでした(p.156)。
中学校英語の時間を3年間均等に毎週4時間と割り振らず、「6−3−3」のように初学年に集中して授業を行い、定着率を上げる。という試案も面白そう。
実際東京学芸大学附属世田谷中学校で2003年から実施されているらしい&『英語教育』2007年10月増刊号にその成果が紹介されているらしいので読んでみようっと。
なんかうまくまとめられた気がしないな…。
どういう風に書いたら分かりやすいのだろうか。
あとはてなダイアリーって同日に複数記事書く時ちょっと分かりづらい気がする。
それでは!