さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

優しい声

(書くことを教える教員は,自分自身書き続けていないと,ということで,同僚同士励まし合いながら書き物をしている。せっかく書いたものなので,一応自分のブログにも公開。)

 「ねぇ、知ってる?このユーチューブチャンネル。」
 マサコは保育園に息子を送り届けた帰り道、ママ友にそう話しかけられた。
 「ほら、『うちの子まだひとりでボタンとめられない』ってこないだ愚痴ってたじゃない。最近そういうのを子どもに教えてくれるユーチューバーがいるらしくて、このチャンネルの動画、人気みたいよ。」
 みると、すでに百万回以上も再生されているその動画は、子どもの目を引きそうな派手な色づかいのアニメーションに、優しい声のナレーションがついていて、丁寧にボタンのとめ方が解説されていた。
 その夜、マサコは早速息子にその動画をみせてみた。普段は集中力のない息子だが、この動画にはあっという間にひきこまれた様子で、黙々とボタンどめに取り組んでいた。おかげで晩ご飯の支度もスムーズに済んだマサコは、たまにはこういう動画に頼るのも悪くないわねと、これまでの認識を少しあらためた。
 そのユーチューブチャンネルは、実によくできていた。結局息子は1週間とかからずボタンのとめ方をマスターしたし、それ以外にも、子どもの興味に合ったさまざまな動画がアップロードされていた。歯みがきやトイレも、動画の主が優しく褒めてくれるので、息子はうれしそうに動画をみながら、何度も練習した。
 これまでは、息子が料理に興味を持ったときも、包丁やら火の扱いやら気をつけるべきことが多すぎて、マサコは息子を台所から遠ざけていた。でもいまは違う。「火は危ないです。近づきすぎないようにしましょう」「包丁を持ったら、ここに気をつけましょう」優しい声で危険を教えてもらえるおかげで、息子は一度もケガをしなかった。
 息子の成長のそばに、いつもこのユーチューブチャンネルがあったし、そういう家はますます増えているようだった。小学校の保護者会でも、だれかれともなくこのチャンネルが話題になった。
 「それにしても不思議だよね。この動画、誰がつくっているのかしら。声だけで、顔も出ていないし。」
 「ほんとほんと。こんなに素敵な動画を、こんなにたくさん、しかも無料で公開してくれるなんて。どこで利益を上げるつもりか知らないけど、ありがたいことだわ。」
 息子が中学校に上がっても、動画の効果は健在だった。反抗期になる年頃ではあったけれど、「おうちの人は大事にしましょう」と優しくくり返す動画をそれとなく見せ続けたおかげか、特に反抗期らしい反抗期も迎えなかった。同じころ、全国的に非行や学級崩壊が減ってきたというニュースが報道されたが、マサコは半分本気で、このユーチューブチャンネルのおかげなのではないかと思ったくらいだった。
 いつからかそのチャンネルに新しい動画はアップロードされなくなっていたが、その頃にはすでに子育てには十分すぎるほどの数の動画がアップロードされていたし、なによりマサコの息子も大学に入っていた。ほどなくして息子は無事大学を卒業した。就職後、親元を離れたので息子とやり取りすることもめっきり減ったが、マサコは趣味の手芸サークルに参加し、穏やかな生活を送っていた。
 そこで話題になるのは、もっぱら老後の話。みんな不安があるようで、どの薬がきくとかどの病院がいいとかの健康の話から、選挙が近づくとどの政党が自分たちによさそうとかの政治の話まで。マサコ自身、昔はどこに投票しても変わらないと思っていたものの、この年になると少しでも自分に得になるようにと考えてしまう。まあ、超少子高齢化が進む日本では、若い世代がよほど一致団結しない限り、今の年寄りびいきな与党が敗けることはないのだけど。
 そう思っていつものように与党に投票したマサコが仰天したのは、選挙結果のニュースをみたときだった。最近出てきたある政党が、二十代三十代からの驚異的な支持を受け、それまでの与党を破ったのだ。「今の与党は危ないです。私に投票しましょう」「投票権を持ったら、私に投票しましょう」などと中身のない演説をひたすらにくり返していただけの党に、こんなたくさんの若者が投票するなんて。ニュースでは、新与党党首の所信表明演説がくり返し流されていた。どこかで聞いたことがあるはずのその優しい声を、マサコはもう覚えてはいなかった。