さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

受験英語と受験数学

15分で備忘録!シリーズ。(今回はわりと15分な感じ)

昨日、以前関わっていたサマースクール関連の人たちと会っていて、紹興酒はまだ合わないなと思いながら中華を食べてたんだけど、そこで話した話。

受験英語と受験数学は、真逆に思える、ということを言われた。数学は、根本的な理解ができれば1のルールから100に適用できる。だが英語は例外が多い。100使えるルールを1つ覚えて使うのが数学で、1使えるルールを100覚えて使うのが英語、と。
なるほどなあ。たしかにそうかも。

しかし英語の「ルール」にも、ホントに1しか使えないやつ(たとえば「楽器を演奏する」という時の楽器名の前には"the"が付く、とか??)から、なんだ、10くらいは使えるようなやつ(たとえば基本的な語順??)まで、色々あるはず。「使えない」よりも「使われない」かな。で、そうした「重さ」を無視して教えるのもそれはよくないことだろう、とは思う。
たとえ「試験に完全に解答するためには100個のルールが必要」だとしても、「じゃあとりあえず100のルール全部に触れておかなきゃ」として各々のルールの「重さ」を反映させずに、全ての「ルール」を同じ重さかのように、のっぺりと教えるのはあんまり好きじゃない(まあ、そんなことしてる先生も少ないと思うけど)。一応教えましたよ。だからできなかったらあなたの責任ですよ、という感じが、なんというか、アリバイ作りのように感じられてしまう。
とはいえ、目の前の生徒にとって「次に必要なルール」が何かなんて、すぐには見抜けないし、「生徒」が「生徒たち」になった途端に無理ゲー臭しかしない。笑
来年度は、そういうところ、つまり個々の生徒がどこにいて、次に何が要りそうか、なんてことを考えながら授業をしていきたいなあ。あの学校の国語の先生(母校の先輩), who's skeptical about the idea of syllabusは、「シラバスという事前に定められたコースをなぞっていくんじゃなく、目の前の生徒に合わせて彼らが必要とするものを提供していくのが教育だろう」と仰っていて、多分あの学校で生き残っていくには、ああした確固たる姿勢が必要なんだろうと、ぼんやり思った。