さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

「乗り気」(東京事変)

小さな頃に遠い世代のことだって思っていた未来が、いま視ている現代。
電話を持って、電車に乗って、電動ランデブー。
実に便利…わたしは生きているの? 一体大丈夫?


果たして
感じているのか考えているのか
はてなしらない
だれのため存在するのか
最も自分が紛らわしい


リピーター率の多さが決定打のショッピングは、身体機能を鈍らせる麻酔剤。
昏睡して、抗体が出来て、後悔デジャヴュ。
好い顧客(カスタマー)…わたしは生きているの? 一体大丈夫?


果たして
欲しているのか満更いやなのか
とてもあぶない
いつどこに存在するのか
最も自分が疑わしい


吸っているのかも吐いているのかも
もうおぼつかない
五体満足を無駄遣い
抑々下段がガラ空きなんじゃい


読みかじった文字面と、視たままの
数字を覚えて、知った気になっている
ようじゃあきょうも、丘サーファー…。
波の所為にはしたくない。


!!!
身包み剥いだ丸腰で
たかがこの身一つ手ぶらで
乗れるもの全部に乗ったれ
取っ掛かりなんて作っちゃえばいい


感じているより考えているより
からだがはやい
いまここに存在するのに
必要なものはもう持っているんだ
東京事変「乗り気」)

この歌が大好きで、図書館でこれが入ってるアルバム「スポーツ」を借りて*1、最近ずっと聞いている。13曲で47分っていうコンパクトさもいいよね。

以前はこの
「読みかじった文字面と、視たままの/数字を覚えて、知った気になっている/ようじゃあきょうも、丘サーファー」とか、
「21世紀宇宙の子」の「ことばでも数字でも/表せない理想描いて」とかに目が行って、
「そこでMixed Methodsですよ!」とかわけのわからぬことを言ってたんだけど、最近聞き直して思うことはそこじゃなかった。

最後の連の、「感じているより考えているより/からだがはやい/いまここに存在するのに/必要な物はもう持っているんだ」って部分、授業に置き換えて考えてホントそうだなあと。

準備段階で色々考えて、ワークシート作ったりなんだりってするんだけど、
そして、自分は今はまだ、授業中も色々考えて、時計見ながら*2、生徒とのやり取りもいちいちうじうじ考えていたりする(から反応が遅くなったりする)んだけど。
そういうのに慣れた先に、「感じるままに動ける境地」みたいなのがあって、まあそうなれればひとまずいいのかなと思ってたけど、さらにその先もあるのかなと、この詞を読んで思わされた。

「からだがはやい」ってなんだ。全然イメージわかないけど、なにかを感知する前にはすでに動いていて、授業後にふり返ってみたら最適な動きが取れている、的な。無意識の境地というかなんというか。
そしてそういう域に達するためには、少なくとも「いまここに存在するのに必要なものはもう持っている」と言えなくちゃいけないんだろう。ああ先は長いねえ。

あと、昔は「丘サーファー」に着目してたけど、今は「波の所為にはしたくない」ってところ。
学校に入るまでは、色々考えてる「丘サーファー」でしかないんだけど、それが実際の波乗り(=授業というか教員生活というか)に反映されなかったとしても、それを「波(=環境とか忙しさとか種々の制約)」の所為には、確かにしたくないなあと。実際どれくらいの「大波」が待っているのか知らないけど。

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辺りをたてつづけに読んでて、昔の人(っていうほど昔でもないけど)たちが抱いてきた問題意識をきちんと理解した上で臨みたい欲が高まっている。
多分来年度からの勤務校には、とても力のある先生が多そうで、多分蔵書とかもかなり揃っているんだろうなあ。色々勉強できそうで楽しみ。しっかり頑張ろうね。

*1:これには「シーズンサヨナラ」とか「生きる」とか「能動的三分間」とかあと「絶体絶命」とか「電波通信」とか、超絶ポップなかっこいい歌が集まっているので本当にオススメ!

*2:多くの場合時計を見ることにすら失敗しているからここは多少盛っていると言わざるをえない