さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

量的質的やら、サイエンスっぽい話

まだそういう話してんのかよ、という感じがなきにしもですが。笑

今日は久々に会う一つ上のサイエンスな先輩と5時間くらい色々お話。いやあ楽しかった。
彼は修論で色々新しい発見があったそうで、「具体的な新発見をすると、それをきっかけにどんどん他の仮説がわいてくる」っていう言葉がかっこよかったです。「教授との議論などで自分が置いている前提・仮定を洗い出して、そこからは論理的に組み立てるからモレがないとある程度確信できる」とかも、いいなあと。笑

こちらはM1になってから見聞きした(英語)教育研究について思うことをぼちぼち話してたわけですが、その中で色々気づくことがあった。のでメモ。

外挿には慎重でなくちゃいけないという話

人も社会も、動的なものであり意志があるから、ある理論で説明がつくとされた途端、「その理論から外れた行動を取る」ということが可能になってしまうため、なんらかの理論でものを説明するのは極めて難しい。
ある場所・時点で言えたことも、その他の場所・時点で言えるかは決して分からない、ということ。
ちなみに外挿は英語で "extrapolation" で、この前かてきょの中でも出てきた単語だったけど、そうかこうやってわりかし普通に使われる言葉なのか。

質的←→量的と、動的←→静的という話

どこかで誰かがきちんと言っているとは思うけど、
量的研究は、アンケートやテスト等で、ある瞬間の人や社会の様子を切り取る。そして瞬間瞬間に切り取られた点をつなぐ作業なんだろう(上の「外挿」は、そのつないだ線を点のないとこまで伸ばす作業?)。
だから(とつないでいいのか分からないけど)、質的研究は動的な側面を切り出す使命があるのではないか。
質的研究の結果が、一枚の静止した図に収まるとしたら、じゃあこれをアンケート調査等で確かめた方がいいよね、的な話になりそうではないか(「質的研究は仮説生成に向いてる」みたいな話か)。
じゃあその「ダイナミックさ」みたいなものをどうやったら描き出せるのか。うーん難しい。
自分は英語教員という動的な仕事を、個人的に深く理解するために修士を使うことになりそう。それが他の人にとってどういう意味を持つかは、正直よく分からないけど、自分にとって間違いなく役立つものには、したい。

SFを読むのは質的研究の訓練になるのかもという話

その先輩は、SFを読むのが好きだそうです。SFの中でも、特殊な設定を置いて、その中での日常を描くようなやつ。
作家の想像力に驚かされることがたくさんあるとのことだけど、これ、質的研究にも使えるんじゃないか。
ぱっと見は自分の「日常」と近いような、研究協力者の「日常」。だけどそこにはきっと、当事者にしか(にすら?)分からない、小さな「前提」みたいなものがいっぱいあるのだろう(それがそこでの相互行為を生む「社会的文脈」とも言えるかもしれない)。
そういう「前提」をあらわにして、その上でそこから自然に得られる、相互行為の裏に隠された「意味」を探し出せれば、まず自分の中に一つ納得感が生まれるかもしれない。
それをうまいこと書き出せれば、他の人にもその納得感が伝わるかもしれない(転移可能性?)。きっとそれができたらそれで十分すぎるほど十分なんだろう。

自分に自信があるっぽいという話

早く結婚したいね、みたいな話もしたのですが、その中で「自分は、尊敬できる(部分を何かしら持っている)人が好きだ」みたいなことを言ったら、
「そういうことを言うのは自分に自信があるやつだ」とのこと。
確かに、相手が自分をなんらか尊敬することをどっかで望んでいるかもで、だとしたらすなわちある程度相手に尊敬してもらえる自信があるのかもなあと。
あともちろん自分が尊敬するポイントにはある偏りがあって、たとえば、「すっげー!体重100kg越えてる!尊敬!」とは多分、ならない。
つまり「好きな人が好き」っていうだけで、あんまりこの説明は説明になっていないんだろうなあ、と。笑

尊敬できる人だけ尊敬しろ、という話

色々な人間関係の話をしたら、「尊敬できない人はホント害悪だから、適当にしとけ。尊敬できる人に全力でついていけ」とのアドバイス。その通りだよなあ。笑


その後大学に戻って、尊敬している同期と、共同研究の話を少し進めた。しっかりついていきたい!