昨日は他大で英語教育を専攻されている院生の方たちと晩ご飯。なかなか盛り上がって面白かった。と同時に、英語教育やる以上は政治的なところは切り離せないないんだろうなーとも思わされました。ノンポリ気取っている場合ではない、のか(正直よく分かってない)?
現場の教員になるとしても必要なことだけど、どこまでそうした問題に立ち入るかに関しては様々なグラデーションがありえて、どっぷりすぎると多分教えてる場合じゃなくなりそうでアレ。うーん。
帰ってきてなんか関係する本読むかーと積読本を漁って、とりあえずタイトルの本を見つけた。著者の岡本薫氏はOECDやら文科省やらで働いていたんだって(だからこそ、アマゾンブックレビューとかでは「なんで当時やらなかったんだ」って言われたりもしてるけど)。まだ全部読み切ってないけど、ちょこちょこ面白い記述があったのでメモ。
日本人の教育観に関して、著者はこう言っています(pp.36-38)。
- 教育が理屈抜きで「好き」
- 教育の目的を「心」や「人格」に置く
- 教育について「平等」を求める
その後彼はこう言っています。
教育に対する日本独特の考え方に初めて接し、困惑している外国人に対しては、これらをひっくるめて「日本では、教育というもの自体がひとつの『宗教』であって、日本人はイデオロギーの差異に関係なく、全員が『教育教』の信者なのです」と説明するのが、理解を得る上で効果的だ。
人々が「理屈抜きで崇拝するもの」「人の心に最も密接に関わるもの」の代表は「宗教」だが、信者は宗教を「手段にすぎない」とは言わないだろうし、宗教の「需要・供給・マーケット」などということを議論することもないだろう。また、神の前ではすべての信者は平等であって、「A級信者・B級信者」という「能力別編成」も、簡単には受け入れられないに違いない。このように、「宗教」になぞらえると、教育に対する日本人の感情が分かりやすくなるのだが、それでも、「聖職」が「教職」を意味するということは、なかなか信じてもらえない。(p.39)
なるほどねーっ!笑
また読み進めておっと思うことがあったらメモしますー。