さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

strategy と tactics

参謀本部なき、戦略なき、日本の英語教育。 英語学習もろもろ/ウェブリブログ
ここに載ってた「strategy と tactics 」っていう話が面白かったからメモ。
前者が戦略(参謀本部が立てる大局的・マクロなもの)、後者が戦術(戦場の指揮官が立てるミクロなもの)で、

英語教育に当てはめると、
tactics は、教室における 「授業」 をどうするか、
ということです。
指揮するのは、英語教師です。
戦う相手は、生徒?
strategy を立てるのは、文部科学省、or 時の政府? 
それとも、各県の教育委員会、または、市町村の教育委員会?

つらつら、英語教育の世界を見てみると、どうも参謀本部のありかが、どこにあるか、よくわからない。
つまり、誰が strategy を立てているか、その strategy の遂行に責任のもっているか、
よくわからない、
のです。みなさんは、わかっていますか。


 なるほどなー。
 strategyというと英語教育では「学習法略」的なとこで出てくるからそのまま使うには分かりづらいこともあると思うけど、でもこの考え方はわりと便利な気がする。
 今日自分の修論についてCiNii調べてたら、「間違いだらけの教科書を捨てよ (教育再生 私の提言 親たちよ!教師たちよ!--建前だけの議論はもう沢山。今こそ自らの体験に基づいた本音の教育論を語る時だ)」なんて香ばしいタイトルの記事が出てきて(自分の興味範囲では全くないけどw)、この「教育論」が何を指しているか分からないけど、strategyとtacticsを混同してるんちゃうかな、と思う。
 どう頑張っても自分の経験から自由にはなれないからこそ、少しでも自由であろうとする態度と、そのための手段としてデータを素に語る技術は必要なんだろうと思う。


 そんで久々に弟とちょこっと彼の専門について話す。データマイニングだって。セクシー!笑
 「買うものによって妊娠してるか分かる」「ワイパーの速度で雨量分かる」「ベンツを買った人をひとまとめに分析すると、他の趣味・年齢などからかなりの確度で共通性が見える」なんて話を聞くと、表に現れない自分の本性なんてなくて、形を変えて測定可能なものとしてそこに現れている(けれどそれがそうだと気づかれてないだけ)んじゃないか、なんて極端にすぎる考えも頭をよぎる。