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さんだーさんだ!(ブログ版)

旧「◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!」 - 大学院を終え、2015年度より中高英語教員になりました。

英語教育分野での質的研究に関する講演会

「英語教育における質的研究の理論と実践」という題目でした。
正直質的研究について理解が深まったというよりも、謎が深まった感はある。笑
講演者の方は「質的研究は言葉をデータとして扱うので、研究として取り組みやすい。(難しい統計手法など学ばなくて良い。)」という◯△☓クイズに「☓」、と仰っていて、若干この設問自体ダブルバーレル感はある*1けどまあそれはいいとして。
その後「一般化できない」という批判が質的研究に向けられることもあるが、それは量的研究という「眼鏡」で見ているだけで、質的研究においては「一般化可能性」という言い方はせず、「移転性(transferability)」と言う、とのことだった。
読み手の文脈においてもtransfer可能かどうか、ということ?でもそれって量的研究でもそうじゃない?と、自分には正直2つの違いが分からなかった…。
(ちなみに配布レジュメ「移転性」の説明には、「ある特定の研究データや結果をその質的研究が当てはまる母集団に移転して読み取れるかどうか。→研究結果を他に移転して適用できるか評価できるように、研究の理論的枠組みについての十分な記述」とある。これってまさに量的研究でも言えることじゃないの、と。)


とモヤモヤ思ってたら質疑応答の時間にこの点について質問してくれた人もいて、その回答によれば、「量的研究は、仮説を証明して10人いたら10人に普遍的に当てはまるようなことを言おうとするが、質的研究ではその場面において言えることをきっちり説明して、それが一部であれ読み手の文脈において移転されることを目指す」的な回答だったと思います(うろ覚え)。


…正直この回答には全く納得出来ず、量的研究ってそんな万能ではなくね?と思った(けどその場では何も言えなかった)。
まず、「証明」という言葉を使うのはまずいと思う。「支持」するかどうかしか言えないはず(『心理統計学の基礎―統合的理解のために (有斐閣アルマ)』pp.2-4「仮説検証の論理」の節)。
また、上で「その質的研究が当てはまる母集団」という言葉を使っているけど、これもまさに量的研究にも言えることだと思う。「それってアンケート取った学校が都内進学校だったからじゃない?」とかいうツッコミは頻繁にありそうだよね。だからとてもじゃないけど全員に当てはまる何かを言うことは難しい。


「質的研究は実践志向性が強いため一般化はあまり考慮しておらず、『今ここ』の教室改善に重点が置かれている」くらい言い切った方が清々しい気もしたけど、論文として書くからにはそうも言っていられないと思うし、配布レジュメp.1「3.なぜ質的研究が広まらないのか」の節に「科学的研究でないという誤解」とあるから科学志向ではあるみたい。だとしたら一般化的な面は無視できないんじゃないかなあ。うーんよく分からない。


上に挙げた質問に別の人が割り込んで回答してくださって、よい論文があるからこれでも読んでみなさい、と紹介していただいた。

EDGE, J.・K. RICHARDS,1998,「May I See Your Warrant, Please?: Justifying Outcomes in Qualitative Research」『Applied Linguistics』19(3): 334–356.

読んでみます。ありがとうございました!


聞いてみた感想として、「厚い記述」が質的研究の最大の特徴なのかなあと今のところ思っている。これがなかったら多分単なる感想文なんだろう。ただ何が「厚い記述」の条件なのかは分からない。理論的な背景・先行研究の検討・様々な条件の考慮(目に見えない・言葉にされない部分、とか?)などなど。


その後他大の院生の方とカフェでおしゃべり。面白そうな研究やるんだなー。色々コラボしてやっていけたらいいなあと思いつつ解散。自分が劣等感ドリブンで勉強なりなんなりしてることが改めて分かった。劣等感持ってるとやる気なくす方向にも行きがちだけどそうなってないのは、きっとどっかで自己肯定感高い部分があるんだろうと、ちょっと周囲に感謝したくもなった。

*1:研究として取り組みやすくはないけど難しい統計手法は特に必要ない、って線もあるんじゃないかとか思ったりw

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