さんだーさんだ!(ブログ版)

旧「◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!」 - 大学院を終え、2015年度より中高英語教員になりました。

教育研究とエビデンス 国際的動向と日本の現状と課題

教育研究とエビデンス −国際的動向と日本の現状と課題

教育研究とエビデンス −国際的動向と日本の現状と課題


 ひっさびさの記事。「久しぶりに書くから気合いれなくちゃ」と思ってるといつまでも書けないままだからね、と言い訳しつつ適当に、読んだ本のまとめです。時間がなくて単なるメモ書きの集まりみたいになってて読みづらいことこの上ないけど。。

 医療分野におけるEBM(Evidence-based Medicine; エビデンスに基づく医療)の発展を受け、教育にもそうした「エビデンス」を取り入れて改善を図ろうとする流れがあるそうで。この本の出版が2012年5月なので、わりかし最近の流れ。例のごとく、欧米では20年前から、らしいですが。

 まずは、「第1章3.1節 問われる教育研究の在り方」から、本書の問題関心を端的に表している部分を引用。

 ハーグリーブスの講演(引用者注:1990年代後半の英国で相次いだ、教育研究の在り方についての批判の発火点となった講演)は「研究に基づく専門職としての教職:可能性と期待」と題する次のような内容のものであった(Hargreaves, 1996)。まず、教師が医師と異なって研究に基づく専門職(research-based profession)でないのは、教育実践における知識基盤が乏しく、教育研究が積み重ねに欠け、また研究と実践の関係が薄いためであることを指摘している。次に、教育研究は費用に見合う成果を出しておらず、研究成果の普及が問題なのではなく、教師にとって有効な方法を開発した研究が乏しいことにあると指摘する。教職を、エビデンスにも基づく教育専門職として確立するためには、研究課題の設定と研究プロセスの変革、及び研究費の配分の変革が必要であると提言する。具体的には、研究課題の設定と研究プロセスに政策立案者や実践者が関与すべきであるとし、教育研究の国家戦略をつくるため「国立教育研究フォーラム」の設立が望ましいとする。また、研究資金の配分も改革する必要があり、「研究者である実践者としての教師」に配分するなどの必要がある、と主張するものであった。(p.33)

1990年代初頭は、「ナショナル・カリキュラムやナショナル・カリキュラム・テスト、自主的学校運営、学校評価、説明責任などのシステムとそのフィードバックによって教育の質を向上させることができると考えられていた(p.33)」ために教育研究開発は不要と思われていたらしい。
当然のことながらこの講演は賛否両論の大論争に発展したが、「エビデンスは万能薬ではないが、教育は『これまでよりもっと』エビデンスに基づく必要がある(p.34)」というのが「妥当な整理(同)」として紹介されている。

課題として挙げられている「投資」「普及」「関係者の理解と参加」が本当に課題だろうなあ…。


 その後は主にアメリカ・イギリスの実例が紹介されていく。エビデンスとして最も強力なのはRCT(Randomized Controlled Trial: ランダム化比較試験)によるもの(可能ならそれをメタアナリシス(=そうした一次研究を集めて統計的に比較する)にかけたもの)であり、初期の例としてはテネシー州のSTAR(Student/Teacher Achievement Ratio)プロジェクトがある。これによれば少人数学級の効果は短期的に現れ、長期的にも持続するとのこと。
 アメリカではWWC情報センター(What Works Clearinghouse)がエビデンスの仲介機関として教育省の要求する「厳密なエビデンス」を提供する役割を担っているが、RCTを唯一のエビデンスとして扱うことに対する異議も出てきている。

 教育省を支持する立場の代表として意見を述べたリプシー(Mark Lipsey)は、「RCT以外の調査方法を認めないと言っているわけではない、ただ、それ以上に介入評価に説得力を持つ方法が出てこないだけだ」と述べている。そして、「保健や医療その他、教育以外の分野ではRCTの有効性が高く評価、理解され、広く利用されており、今さら議論にもならないが、教育関係者の間ではイデオロギーとしてRCTが受け入れられにくいのだ」と述べた。(p.87)

なんか分かるわーって思ったから引用。ちなみにアメリカでは賛成派も反対派も、RCTがプログラムの因果関係を評価する現在可能なベストの方法論であることは認めた上で、それ以外を認めるか否かで割れているとのこと。しかも「それ以外」と言っても、「サンプルサイズが小さくてもRCTならおk!みたいな風潮はよくないから、準実験も認めようぜ!という統計的なお作法に則ったものの様子。


 医療との比較から教育分野にもエビデンスを!RCTを!ということだと思うんだけど、教育は医療よりも個体差大きい気がする。。と思っていたら、第7章には、医学・薬学よりもより教育に近いものとして、社会福祉(ソーシャルワーク)との対比が。「教育、社会福祉の対象が統合的全体としてなる人間である(p.216)」ことが理由だってさ。
この章はけっこう面白くて、「実証(1回限りの事象を正確に描写=アート)とエビデンス(客観性・再現性・有効性の探究=科学)は違う」とか、「エビデンスという言葉に偏見(人間の営みを数値化する費用効果測定ツールに過ぎない!など)がある」とか。


 現場にはおそらく「私は1人ひとりの子どもをみて対応を決めている。統計によって決まりきった対応を強制されるのは教員の自律性を削いで教職の専門性の減衰につながるし、何より生徒のためにならない!」という先生はいるだろうから、そういう人と折り合いつけるの大変そうね、と思う。
もちろん、大規模な実験はマクロな政策決定に使われるもので、教室での実践というミクロな場面では、そうした大枠を知った上で各々先生方が適宜対応を決めて自律性は保持されたまま、という形になるのだろうけど、そもそもこういう実験に参加したがらない先生多そうだなーというのが勝手な感想だし、さらに生徒・保護者に同意を求める手間を考えると、ホント「関係者の理解と参加」がでかい壁なんだろなー。


 あと、IES(Institute of Education Sciences)では「実践ガイド」が公開されているらしい。「Using Student Achievement Data to Support Instructional Decision Making」なんてガイドもある(ここね)から、今度読んでみよう。


エビデンスに関して個人的な経験を言うと、
卒論(過去記事参照。)執筆中に指導教官に、「研究者と実践者の記事を対比した後、最後に『どの記事もあんまりエビデンス的な話ないですよね。これからそっちの方向に発展してくのもいいですよね』みたいな落とし所をつけるのはどうですかね」と伺った時、
「エビデンスという目に見える形で教育の効果を測定できるというのも、ある種の『思想』だからねぇ」と言われたことを思い出す。
「思想」同士いがみ合うのは幸せじゃないけど、その「思想」の裏に変な思惑とかないかなーとうがった見方をちょびっとだけしてはいる。
でもどうしたもんかよく分からないよなあ、というぼんやりしたところでお時間なのでこの辺で。
ホントは同時に読み終わったこちらの本

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である


も絡めて書きたかったんだけどなー。また今度。

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