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さんだーさんだ!(ブログ版)

旧「◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!」 - 大学院を終え、2015年度より中高英語教員になりました。

「生徒に、『なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?』と訊かれたら」

戒め 英語教育

id:anfieldroad 先生の、第5回 英語教育ブログ一斉更新企画に参加しています。
まとめページはこちら↓
[みんなで英語教育]第5回「なんで英語なんか勉強するの?」まとめ


とは言うものの、僕自身はまだ実際に教室で教えた経験が(教育実習しか)ないので、想像の話でしかないけど!
最初に、この問いから想起される諸々(九割方愚痴注意)についてメモしておく。


◯あんまりこういう質問させたくないなあ
 多分一番最初の授業とかで、「どうして君たちが英語やった方がいいか」みたいな話を、全員が心底納得するなんて不可能とわかりつつも、することになると思う。そして、ある程度の人数を前に「なぜ英語をやった方がいいか」を言うとしたら、「世界が広がる」的な、一般的な話をすると思う。
 それは別に「社会に出てから世界と渡り合う」なんて話でなくても、大学に行く中で自分が英語ができてちょっと得した話とか、最悪英語の先生になれば死なずに生きていける(笑)とか言うんじゃないか。あと個人的に英語が好きとか、社会における英語の立ち位置、なんて話もするかもなあ。
 ただ同時に、生徒全員が将来英語を使うとは限らないから、授業の中での(いわゆる「今ここ」)達成感も与えられるように授業を作っていきたいとも思う(もしかしたら生徒にそういうことを言うかもしれない。こういうのは言わずにいた方がいいもんなんすかね)。
 だから、タイトルにあるような質問が出てくるってことは、その説明があまり響いておらず、将来役に立つ感も、今ここの達成感も得られてないってことで、その時点でこちらに落ち度があるような気がする。


◯あんま公立行ける気がしない
 もちろん学校によっては、大学に行く生徒が少ないとか、将来日本でだけ、日本語でだけ生きていく可能性の高い生徒が多いことだろう。…正直、そういう生徒を前に英語を教えられる気がしていない。やはりどこかに「彼らに本当に英語が必要なのか?」という「疑い」を持ってしまう気がする。
 全ての人にとって、英語が使えないより使えた方がよい、とは思う*1。ただ、「できないよりできた方がいいこと」なんてそれこそ無数にあるわけで、その中で時間・苦労というコストを払って英語を勉強・習得しなくちゃいけない必然性が、必ずしも日本の学校に通う生徒全員にあるとは自分でも心底腹落ちはしていない。
 だから、生徒全員が将来英語を使うことはないと思いつつ、使う可能性が高いような生徒を相手にしたい。そうすると、やっぱ公立はあんまり行ける気がしてないんだよなあ。
 もちろん、英語学習の効用は、英語を習得することだけではないと思う。授業の中で友だちと交流するとか、言葉への気づきとか、そういう部分もあるだろう。その点では、彼らが英語を習得できなくても、すわ英語の授業は意味がない、とは言えないと思う。
 ただ、「英語教育と英文学 - ◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!」にも書いたように、なぜ他の外国語ではなく英語を教えるのか、と考えた時に、それを習得させるべしという社会からの要請というのは確かにあるはずで、やっぱり自分は一番のプライオリティは「習得させる」というところに置きたいなあと考えているわけです。
 もっと言えば、自分に現場経験がないから、「習得」以外の効用がはっきりとはイメージ出来てないってこともある。汗
 その辺がクリアにイメージ出来たなら、授業を成立させるのがそもそも難しいような学校で、英語を習得させるところまで全然行かなくても、別の意義を置いて英語教員ができるとも思うんだけど、自分にはまだ経験とか色々なものが足りない。


◯というか母校行きたい
 結局ここに行き着くのかなあ。母校以外の学校を知らないからなんとも言えないけど、とてもいい学校だったと思ってるんだろう。
 「公立で揉まれてこい」と言う人から「公立より私立のが向いてるよ」と言う人までいて、超進学校で淡々と授業をするよりも、いわゆる「しんどい学校」で生徒と向き合って行うことこそが真の「教育」である、なんて言説がなんとなーくあるような気がしているけど、その意味で自分は「教育」に興味がないんじゃないか。



 以上すっごく長い愚痴になってしまった。最後にちょっとだけ、この問いにどう答えるか、想像してみる。
 こういう質問してくる生徒は、ただ単に教員を困らせたいだけな場合もありそうで、そうするとこんな会話にはならなそうだけど、純粋に僕の授業に対してモヤモヤ疑問を感じてる素直な生徒を相手にするとしたらなんて言うかなあと妄想してみる*2

生徒(S)「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?」
僕(M)『どういう意味?』
S「や、俺将来英語使わなそうだから、別に英語どうでもいいかなって」
M『あー、どうでもいいからやりたくない、ってこと?』
S「まあ、はい」
M『うーん。じゃあたとえば体育で今サッカーやってるじゃん。あれ将来使う?』
S「多分使わないですね。僕野球部ですし」
M『そうだよね。じゃあサッカーどうでもいいからやりたくない?』
S「いや、楽しいからやりたいです」
M『そうだよね。どうでもよくても、楽しければやるよね。その点英語の授業はやっぱりどうしても「楽しさ100%」とは言えないもんなあ』
S「はい。笑」
M『でもさ、野球部の部活で最近走り込みしてるよね。あれ楽しい?』
S「や、全然wマジでキツイっす」
M『じゃあ楽しくないからやりたくない?やめる?』
S「うーん、でもやった方が野球うまくなると思うから」
M『だよね。楽しかったらやる、楽しくなくても、上達してる実感があれば、やる』
S「っすね」
M『じゃあ体育でやってる楽しいサッカーと、部活でやってる楽しいことばかりじゃない野球、どっちが上達してる感ある?』
S「うーん、野球」
M『もちろん自分が好きでやってるとか長い時間かけてるとか色々あるけど、上達しようと思えばある程度大変なことも必要だよね』
S「それはそうですね」
M『俺は英語の先生だから、やっぱり君が英語上達してくれたら嬉しいし、そのために色々準備して考えてる。つもり。なるべく大変なことを避けてってるつもりだけど、まあこういう質問が出ちゃったってことは、将来役立つとも、今達成感ある・楽しいとも思わせられてないんだもんなあ。ちょっと申し訳ないなとも思う、うん。具体的にどういうことがあれば「これ役立つ」とか「達成感!」とか思う?逆に、今の授業のどんなところがつまらない?』


―以下具体的な授業の改善点を聞く―


M『なるほどねえ。けっこうあるもんだなあ。色々自分でも気づけてなかったこともあったからありがとう。考えてみるわ。ただもちろん、今つまんないと言われた上で、でもやっぱり必要だから授業でやろうってこともあると思うから、その時はその時で!ありがとう!』

 こういうの書くと、ああこういう先生、生徒とこういう関係性を築く先生になりたいのねってのが透けてみえてすっごく恥ずかしいけど、昨日読んだ本で大村はまさんが、てびきを作ることの重要性(たとえその通りに行くことはありえないとしても)を説いていたので、なんとなくやってみようと思った次第です。いやしかし恥ずかしいなこれ。

 「俺も頑張ってるからお前も頑張れ」みたいな精神論にしかなってないけど、そういうことなんじゃないかなあとも思う。生徒に「うるせーお前一人頑張ってろ俺は知らん」って思われないような関係性が本当に築けるのかっていうのがすごく不安で、ちょっと楽しみでもある。

*1:最初はここに「英語が話せないより話せた方がよい」と書いてて、自分はそういう「コミュニケーション」の方に軸足を置きたがってるんだな、と思いました。

*2:書いてから、そういう「素直」な生徒はなにかモヤモヤを感じつつもこんな質問せずに黙々と授業についてきてくれる気もして、こういう声を拾い上げることは難しそうだな、と思った。

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