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さんだーさんだ!(ブログ版)

旧「◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!」 - 大学院を終え、2015年度より中高英語教員になりました。

今日読み終わった本

読書 英語教育

スペシャリストによる英語教育の理論と応用

スペシャリストによる英語教育の理論と応用

「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)

「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)

日本人は「日本的」か―特殊論を超え多元的分析へ (東経選書)

日本人は「日本的」か―特殊論を超え多元的分析へ (東経選書)


ちびちび読み進めていた本を、今日一気に3冊読み終わりました。
1冊目。『スペシャリストによる英語教育の理論と応用』。
英語教育に関わるスペシャリストの方々が、自分の専門分野について概説。非常にわかりやすく読めました。

2冊目。『「あたりまえ」を疑う社会学―質的調査のセンス』。
質的調査、特に対象となるフィールドにがっつり「はいりこむ」系の研究。筆者はグラウンディッドセオリーのような、定式化された質的調査には疑問を持っているようだ。

 調査研究する者は、取り出され、読み解かれた概念や理論装置で再び武装し、現実から離れた高みに立とうとせず、調べている現実と同じ場所に居続けようと、できるだけ努力すべきだろう。(p.193)

むつかしい。でも、研究者自身の存在がその研究に影響を与えるのは間違いないから、あたかもそれがないかのように、透明人間かのように質的研究を進めるのは難しいだろうなあ。
ただ、本書で断片が示された質的研究の多くは、マイノリティというか被抑圧者が主になっていたから、そこに対峙する研究者の「あたりまえ」の感覚がそれだけ鋭く描き出されていたように思えるから、もっと「普通」の人を対象にする際に自分の「あたりまえ」をむき出しにしておくのは難しいだろうなあと思いました。

 常に自分の中に「風穴」をあけておき、いわば常に自分を「危うさ」に直面させておく。このことが、実は世の中を質的に調べるセンスの核心にあるのかもしれない。(中略)
 外から吹いてくる風には、心地よいものもあれば、身体が凍りつくほど厳しく冷たいものもあるだろう。そうした風をとりこみ、自分の中に貼られたさまざまな「普通」の札がどのように反応するのかを見る。強風に微動だにしない「普通」もあるだろう。わずかな風ですぐにはがれ、飛んでいってしまう「普通」もあるだろう。
 微動だにしない「普通」の背後には何があるのだろうか。はがれ飛んでいった「普通」の後には何が新たに生まれ出てくるのだろうか。「普通」の札がはがれてしまった自分の身体は、どのようになってしまうのだろうか。そこには、自分が変わる「危うさ」とともに、変わる快感があるはずだ。
 「普通であること」を相対化し、自らにとっての「普通」をつくりかえる可能性を満たした風を呼び込む。そのような「風穴」なのである。(pp.241-242)

3冊目。『日本人は「日本的」か―特殊論を超え多元的分析へ』。トイレ読書に使っていた本です。笑
「日本人は〜」という議論の学問的胡散臭さが暴かれていて面白かった。もう30年も前の本だけど、語られている日本人論は今もそんなに変わってないよなあと。
ちなみに日本人論ってどうなの、っていう話に一番最初に興味を持ったのは「コミュニカティビストの似非統計学(「日本人」サンプリングの恐怖) - 女教師ブログ」がきっかけでした。非常に面白いブログなのでぜひ。

本書も、p.164から始まる「全般的な方法論的問題点」などなど、非常に勉強になりました。
ちなみに日本人論に共通する方法論的問題点として筆者は、

  1. 概念の不明確さ
  2. 定義と証明の混乱
  3. 命題間の矛盾
  4. コトバ分析全能主義
  5. 標本・母集団と比較基準の混乱

を挙げていました。それぞれ、

  1. 「『甘え』とか『タテ』とかって厳密に何?」
  2. 「『日本人の子供は甘えているから、母親が部屋を出て行くときに泣き出すのだ』って、泣き出すことを甘えの観察指標にしてるんだから同義語反復じゃない?」
  3. 「さっきと真反対のこと言ってるよね?」
  4. 「諺を分析しただけで何か言った気になられても…」
  5. 「その標本の母集団って『日本人全体』とはとても言えないよね?」

ってことみたいです(雑)。
「第11章 あべこべ日本人論」も、上で示した「胡散臭い」議論の方法を用いながら、「日本人は個人主義的で、人間関係はドライだ」という、通説とは反対の結論を導いている。おもしろ。
結局、国籍もその他のたくさんの変数(性別・年齢・学歴・業種・企業規模・社会的地位などなど)の中の一つに過ぎないのであり、国籍をことさら取り上げて何かを説明するのは無理がある、という「あたりまえ」の話ではあるんだけど、ここまでコテンパンに言われるとなんだか爽快でした。
ちなみにこの本の前には、「日本人論」再考 (講談社学術文庫)を読んでたんだけど、よく分からなかった。また読み返してみようかな。


さあ、次のトイレ読書、何にしようかな。

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