- 作者: 小寺茂明,吉田晴世
- 出版社/メーカー: 松柏社
- 発売日: 2008/05
- メディア: 単行本
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読んでます。1日1章読んでこうかなあと。
そして、役に立つなあってところや、ここよくわからないなあってところをたまにメモっていきます。
本日は、第2章「国際英語」(執筆:日野信行)。
まずは本書p.21の表。English as an International Language論と、World Englishes論の対比。
EIL論 | WE論 | |
---|---|---|
創始者 | Larry E. Smith | Braj B. Kachru |
発想の原点 | 国際コミュニケーションにおける自己表現の態様 | 英米(特に英国)の旧植民地における独自の英語の発達 |
主たる学問分野 | 英語教育 | 社会言語学 |
主たる対象 | 国際コミュニケーションの手段としての英語 | Outer Circle諸国の国内で用いられる英語 |
態様 | 統一性をも備えた多様な英語変種から成る | 多様な英語変種から成る |
成立のための前提条件 | 単に、国籍の異なる英語ユーザーが存在すること | 英語の世界的な広がり |
英語の土着化 | 英語の土着化はどこの国でも起こりうる | Outer Circleでは英語の土着化が起こっているが、Expanding Circleではほとんど起こらない |
習得のモデルとすべき英語 | 学習者の属する国の英語変種を基盤としながら、同時に国際的にも通用する英語 | Outer Circleではそれぞれの国の英語、Expanding Circleでは母語話者の英語 |
※土着化(indigenization):英語が当該の土地の文化や価値観に適合する形で変化することにより、母語話者とは異なる地場の文化や価値観を英語で表現することが可能になること(p.20)
→これの例として、p.16には、米国人がbrotherやsisterで済ますところを、日本人がolder brotherやyounger sisterと区別することが多いのは、「長幼の序を重視する日本的価値観を、アメリカ英語とは異なる日本英語で表現している」とある。「独自の思考様式や行動様式を反映した英語が生まれ、発達している(p.16)」という説明も。
→→2点疑問。
まず「独自の〜英語が生まれ」っていうのになんだか違和感。それホントに「生まれ」てるって言えるの?ってのと、「だからどうしたの?」ってのと。
イメージに過ぎないけど、新しく生まれたって言うなら、昔は存在しなかった/容認されなかった単語・語法が、今は存在して/容認されている、的な感じがするけど、ここで挙げられている例はそういうわけじゃないよなあと。
そして、ある英語変種が、他の英語変種話者の多くに苦もなく受容されるなら取り立てて言うほどのことなの?と思うし、受容されないなら「統一性を備えた」とは言えない。
2点目の疑問は、なぜその「変化」の説明に「日本的価値観」を絡ませるのか。単に「兄」「弟」「姉」「妹」を直訳しているだけの可能性もある。もちろんその言葉遣いにこそ日本的価値観が表れている、って言われればそれまでだけど、あえて「長幼の序」なんて言わなくても、とも。これに関しては、日本人は「日本的」か―特殊論を超え多元的分析へ (東経選書)って本を今トイレで読んでいて、日本人論がこてんぱんにやられてるのをみると、学問的な文脈で「日本人の価値観が〜」って言うのはなんだか怖いように感じてるってだけかもしれないけど。
あと他にも違和感のあった部分。
米国式の作文法の特徴は、結論が明確に打ち出されている反面、その結論をサポートするために都合の良いことばかり並べていくため、議論が一方的になることである。これに対して、日本の伝統的な起承転結式の特徴は、結論がしばしば曖昧になる反面、「転」の部分で物事の別の側面も検討するので、バランスの取れた議論になることである。(p.26)
えー!笑
反論吸収は別に英語式日本語式(的なものがあるとして)問わず必要なことなんじゃないか。
色々書きましたが、今ALT絡みの修論やってみようかなあと思っていて、母語話者・非母語話者のインプットの質の差が学習者にどういう影響を与えるのか、的なことをやろうとしているんだけど、やっぱり「結局どういう英語を目指すのか」という議論抜きにはできないと思うので、この辺をもっと勉強していかなくちゃいけない。むつかしいなあ。