さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

「これからの英語教育、これからの英語教師ー自立した学習者を育てる」@明治大学

はじめに

10/20(土)14-16時に明治大学国際日本学研究科主催で開かれた講演会に行って来ました。
(その前に学科の先生とフットサルに参加して、その道中、学会やら卒論やらに関して色々お話聞けてとても楽しかったのですが、もしかしてどこかにオフレコの話が含まれていたらまずいのでここでは割愛。そんな大した話ではないはずだけどw)
講演者は、文部科学省初等中等教育局視学官の太田光春氏。
来年度から施行される新学習指導要領にも深く関わっているとのことで、色々裏話が聞けるかなーとワクワク。以下感想。


の前に断っておくと、この記事は僕の講演メモから再構成されているので、話の順番やディテールは歪曲されている可能性もあります。
もう一点追記しておけば、僕は去年夏に文科省のインターンに応募して落ちていますので、どこかにそのルサンチマン的なのが露見されるかもしれません笑
(落ちたおかげでH-LABサマースクールに出会えて色々あって院まで行くことになったので、本当に落としていただいて感謝しておりますが←)

総括

個別的な場面における理想論としては非常によかった。でももっと具体的な制度の話を聞きたかったし、理想論を実行に落とし込む制度作りこそ文科省の仕事なんじゃないかなぁ。
「全12回の授業の第1回ガイダンス」っていう位置づけで、「今日話したことが実際にどう実行に移されている/移されうるか、今学期を通じて考えて行きましょう」ならすごく魅力的!笑

講演者プロフィール

毎日通勤時間往復3時間は英語を聞いている。これは大学生時代から続けているらしい。そして洋書ペーパーバックを一日50ページ以上読む。計15000ページ以上読んでいるとのこと。ヒー。
そしてメタボと診断されてからは一日45分歩き、5時に起きて腕立て腹筋を100回ずつやってるとのこと。ヒー。

自己肯定感の国際比較

講演の始めには、アメリカ中国韓国と比べて自己肯定感の低い日本の子どもの実態調査が紹介されました。
(2011、財団法人一ツ橋文芸教育振興会・財団法人日本青少年研究所「高校生の心と体の健康に関する調査報告書」(http://www1.odn.ne.jp/youth-study/ 調査自体は無料公開されていないようです))
「私は価値のある人間だと思う」に「全くそうだ」(この日本語も気になるけどw)と答えた割合が、日本7.5%、米国57.2%、中国42.2%、韓国20.2%。(以下同様)
「自分を肯定的に評価するほう」:日本6.2%、米国41.2%、中国38.0%、韓国18.9%
「私は自分に満足している」:日本3.9%、米国41.6%、中国21.9%、韓国14.9%
「自分が優秀だと思う」:日本4.3%、米国58.3%、中国25.7%、韓国10.3%
(以上、上記HPから飛んだ調査概要pdfより引用)


さらに、私は先生に優秀と認められている、という設問に対して肯定的/否定的に答えた割合が、
日本:18.1%/80%、アメリカ:81.7%/16.1%、中国54.8%/44.8%、韓国40.4%/59.1%だったそうです。
「国民性のせいだ(から変える必要はない)」のような反論に対して太田さんは、同じ能力の人同士だったらoptimisticな方が成果上がる(から変えたほうがいい)と仰っていました。
「教員がもっと働きかけて生徒の自尊感情を育もう」というメッセージでしたが、それだけでなんとかなる問題なんだろうか。
ひねくれた見方をすれば、この調査が示しているのは「自己肯定感」よりも「それをどう表明するか」に過ぎない可能性がある。


自分の仮説は、どの国の子どもも、「そうした方が得だから」そのように「答えて」(≠「感じて」)いるだけなのではないか、ということ。
つまり、自己主張することでチャンスを得ていくアメリカなどの国では自分に価値があるように振る舞うことが「得」で、
逆に日本などでは、失敗した時のダメージがでかい(と思っている)から、そのための布石として自分には能力がないように振る舞うことが「得」なんじゃないかなーと。
「得だからそうしている」という意識があるとしたらそれを払拭するのは容易ではなくて、各個人をどうにかする前にもっと大きな、社会とか世間とかから変えていかなくちゃいけない気もして、相当に難しい問題。。


「教員がもっと働きかけて生徒の自尊感情を育もう」という意見には賛成だけど、仮に教員側が全く同じ働きかけをしていても、生徒のこのアンケートへの返答が国によって違ってくるのだとしたら、闇雲に日本の教員のせいにしてしまうのはどうなのかなーとも思うし、それに現在の教員への信頼の薄さ・権威のなさを考えると、「教員に認められるか否か」ってのは生徒の自尊感情形成に当たってどれほどの役割を果たしているのかも疑問。

Every Child Matters.

これを「全ての子どもは問題だ」と訳した中学英語教師がいたとか。ヒー。
フィンランドでは小1・2の段階で遅れそうな子どもに徹底的に対策を施して、置いて行かれる人を作らないらしい(Early Intervention)。

「どの道でもいいから…」

「偏差値いい子はいい大学行って!」という気持ちを親や先生が持っているから問題で、「どの道でもいいから一流を目指してくれ」と大人が本気で言わなくちゃいけない、と太田さんは仰ってました。


でもそれって本当にそう簡単に言えるものかな?
例えば僕の地元の知り合いは高卒で仕事についたけど、大卒とのあまりの賃金差に絶望して仕事を辞め、専門学校に入って勉強し直すと言ってます。
その彼に子どもが生まれて、「どの道でもいいから一流を」と本気で言えるのだろうか。


特に、一流(と周りから目される地位)を目指すのであれば、色々と厄介事が増える。
「初職が大事」みたいな話も聞くし、社会システムを変える必要もある時に、そういった事を全て見ずに、「いい大学には行きたくなったら行けばいい。まずはやりたいことをやろう」と言えるのだろうか。
前節と似た様な結論だけど、全部が全部現場教員の姿勢の問題、みたいに言われてもなー。特に文科省の人なんですし。


「どの道に進んでもいいし、一流でなくてもいいから、私はあなたを愛している」なら自分の子に言える気がするけど、これを言えるかどうかにも様々な社会資本が関わっている…??笑

生きる力

Fostering a zest of lifeは3つの要素から構成されており、

  1. Academic ability
  2. Richness in Humanity
  3. Health and Physical Strength

で、これは昔ながらの「知徳体」で、普遍のもののようです。まあそうなのかなーという感じ。


そしてそれとどう関連するかいまいち分かってませんが、
平成19年に改正された学校教育法において、

  1. 小中高は生涯にわたり学習する基盤を培う
  2. そのために、基本的な知識及び技能を習得させ、
  3. 課題解決に必要な、思考力・判断力・表現力をはぐくみ、
  4. 主体的に学習に取り組むする態度を養う

などが追加されたそうです。これもなかなか難しいよなーと思っていたら、


太田さん「うちの娘は大学院まで終えた時に『お父さん、私やっと自分が勉強きらいだって分かった』と言いました…」


マジか!太田さんほどの勉強家の娘さんが勉強好きに育たなかったってことは、学校教育法が要請する「主体的に学習に取り組む態度」って教育でなんとかなるの?運ゲーじゃね?笑
(や、もちろんこれは笑い話だし、勉強と学習は違うと思いますが…笑)

これまでの英語教育・これからの英語教育

「文法は単なる知識であり、ペーパーテストはその知識を確認することしかできず、活用されるレベルに達してない」という話の中で、

  • 話す時はモニターしちゃダメ
  • 読む時訳してないでしょ?文法考えてないでしょ?

的な話をされました。


正直、「え、してるわ…」ってなりました笑汗
(確かに訳すことはほとんどないけど、ちょっと複雑になったら文法的に解釈してる)


これけっこう大事な話で、今の自分は(まだまだ(×100)勉強する必要があるのは当然として)日本人の英語学習者としてはけっこう上の方にいるとは思うんだけど、それでもこの有り様なわけです。
上記2点を「ダメ」とするなら、ホントに今までの英語教育は根本的に「ダメ」ってことになる。
だけど、「ダメ」な方法である程度の英語力を獲得してしまって、なおかつその「ダメ」な方法で長年教育を行なってきた人からしたら、
インプット仮説に基づく新しい英語教授法が簡単には信じられないし、信じたくないものなんでしょう。
僕自身も、「ホントはもっといい学習法があったんだよ。ヘンな努力乙ww」って言われてる気がしてなんだかなーと思ったりもしました。
そうした感情は、生徒に最高の学習環境を提供する上で邪魔なものではあるけど、そこに全く配慮せずに「英語の授業は英語で(を原則とする)」と言われても色々むつかしそう。

「信じる」こと

「Teachers should...」というスライドで太田さんが示したのは、以下のことでした。

  • Be autonomous learners of English themselves.
  • Act as good role models for students.
  • Use English as much as possible for students.

そして同時に大事なこととして挙げたのが、「intensity」です。
信念の強さ。誰でも学べる、と信じる強さ。自分の科目が大好きだ、と思う強さ。
太田さん自身も、現場の先生・そして彼らについていく生徒を強く信じたからこそ、ああいった指導要領が書けた、とのこと。


立派である。現場に出たら絶対目の前の生徒を信じて粘り強く愛情深く働きかけるべきだ。
でもそういう個別的なミクロな場(っていう言い方合ってるかな?)と、政策決定というマクロな場では話が別なんじゃないか、とも思う。
つまり現場には色々な生徒がいて、色々な先生がいて、能力ある人もない人も、熱意ある人もない人もいる。
教員がみな熱意あって能力あるべきだというのは当然だけど、現実にはそうではない。
そうした人たちに「信じてるから、英語で授業してね」というのは一種暴力的だとも思える。だって反論しようがないもの。熱意がないのはあなたが悪い。能力がないのはあなたが悪い。そらごもっとも。


英語の授業を英語でできる人というのは、恥ずかしい話だけど、英語教員において多数派では決してない。もっと恥ずかしい話だけど、正直自分自身、まだできる気はしない。
それを目標に掲げて「みんな出来るように頑張ってね。信じてる」と言うのは、うーんやっぱり大変過ぎない?


自分自身はどんな教授法だって出来るように勉強していくつもりだけど、全員が自分くらいできるようになるとは思わない。
だって「全員自分並みに出来る」ってことは「自分は人並である」ということで、それでどうやって「自分が優秀だと思う」に「全くそうだ」なんて答えられるのだろう。
生徒の落ちこぼれは防ごうとするけど、先生の落ちこぼれに対しては「信じてる」で終わらせるのはあまりになあ。
(もちろん教員研修の充実等は既に検討されてると思うけど。。)

データの話

があまりなかったなーと思った。
「山梨県の全ての公立高校で英語で英語を教えています!」というのはスゴい!と思ったけど、それでどのような成果が出ているかについての言及も欲しかった。
ただその成果をどう測定するかにも色々問題はあるのかもしれない。
ちなみに現状では拠点校の成果測定には英検とGTECが使われているらしいです。

テスト改革進行中…

「古い」教え方をしている高校は、大体「新しい」教え方の効果を信じておらず、「受験に役立つから」という理屈でもって「古い」やり方を続けていると思う。
それならば、彼らを「新しい」教え方にシフトさせる最も強いインセンティブは、「新しいやり方のが実は偏差値も入試実績も上がるよ」という事実ではないだろうか。
知識の確認に過ぎない"Pencil and paper test"から脱却して、活用できるようにする新しい教え方をしようぜ!と言う時に「実は"Pencil and paper test"にも効果的なんだよ」と示さざるを得ないのはなんだか皮肉に聞こえるけど…。
その意味で、文科省ではセンター含め入試改革を検討中であり、外部試験導入等、大学側に様々なお願いをしていく、という話はその通りだ頑張れ!と思える話だった。
ただ、大学側からの反発もスゴそうだなー笑

質疑応答

僕は山梨県での英語英語授業の成果を聞こうと思ったけど、他に質問者たくさんいたから自重。けっこう質問の仕方の違いを感じた気がした。
自分が質問する時は、個人的な話は最低限にして、なるべく早く講演者に返そうとするんだけど、
今回の質問者はけっこう自分の話から入る人が多い気がした。
その人の個性が見えて面白い時もあったけど、正直「いやさすがにもう前置きいいだろ…」と思う人がいたのも事実w
良し悪しですねー笑

まとめ

僕は今回の講演に、講演者が文科省の人だということもあって、マクロな話を期待して行った面が強いけど、実際は、様々な節で言及した通り、ミクロな話が多かったなーという印象。
でも、教職のまっただ中にいる1〜3年生にとっては非常にmotivatingな講演だったと思います。
自分も、個人的にはこの講演に話されていた授業・接し方ができるようにしたいなー。


あとすっげー暴論になるけど、大体の人が「学校の英語教育で習ったことって卒業したら大体忘れちゃうわww」なんてのが現状なら、もっと開き直って色々挑戦できるんじゃないかなー笑


予想外の長文になってしまってその他諸々する暇なく外食へGO!!お腹減った…笑