さんだーさんだ!(ブログ版)

2015年度より中高英語教員になりました。2020年度開校の幼小中混在校で働いています。

『教育言説の歴史社会学』

教育言説の歴史社会学

教育言説の歴史社会学

こちらの本の第1章を読み終えました。
この前学科の先生とのフットサルに行った際、自分の卒論に関して話したら、
(まだ数少ないですが卒論関連記事はこちら→[卒論] - ◯◯な英語教員に、おれはなる!!!!
「それなら広田先生の”<教育的>の誕生”を読むといいよ」と言われ、
調べたらこの本の第1章に収められてると分かったので、その日の帰りに本郷図書館で借りました。

本書全体の問題意識

一言で言えば、「『教育の語られ方』を見直す(p.2)」ことである。
そうした動きは近年盛り上がっているものの、
「近代教育の思想的淵源にさかのぼって教育(学)言説の見直しを試みる動きと、社会構築主義エスノメソドロジーの観点から現代の教育の諸現象をとらえ直す動きとの間に、大きな隔たりが存在している(p.5)」という。
前者は近代教育の前提を問い直すもっとも根本的でラディカルなものでありながら、その知見は、近代教育(学)全体に関わるために広がりがありすぎて、命題の抽象性が高かったり、指示対象が不明確になる。
逆に後者はしばしば歴史的視点をないがしろにしており、「『<問題>は現象それ自体にではなく、問題視する側によって作られる』という一般的な命題を再確認するだけにとどまりがちである。(p.6)」


そこで筆者が取るアプローチは、「個別の具体的なトピックにこだわりながら、その『語られ方』を歴史的な視点からたどること(p.6)」である。
さらに、上記の「一般的な命題」にとどまらず、「むしろ、安易な『批判的結論』に安住せず、未来のさまざまな選択肢のバランス・シートを議論できるような材料を提供できるよう(p.8)」意識したという。面白そう。


以上「序章」からの引用であったが、最後にもう1つだけ引用。

 教育の事象を、教育(学)的な言葉で説明することが、かえって問題の焦点を見えなくしているのではないか、と私は思う。森重雄がくり返し指摘したように、教育という審級が、政治や経済から自立してくるのは、近代に特有の事態である。また、戦後の教育学――特に一九五〇〜六〇年代の教育学――は、教育を自律的な領域と考え、その領域に固有の価値基準で事象を判断・評価するという、戦前のある時期に作られた教育言説の構造(本書第I部を参照)を継承して、政治や経済から独立した「教育的価値」の定立に向けて腐心してきた(p.17)

他の分野も勉強しなくちゃね。。そして、後者の言及は第I部に続きます。それでは以下、第I部に関して。

第I部<教育的なるもの>の系譜

そもそも、現代においては「教育的」という語は、「教育的視点から見て問題がある」とか、「これは教育的だ」「これは教育的でない」等、一種の有無をいわさぬ規範性を帯びて用いられることが多い。(p.23)

という問題提起の後、この語が歴史的にみてどのように使われ始め、現代のような用法に落ち着いたのかを追っていきます。
以下が関連する第I部の章立てです。


第I部<教育的なるもの>の系譜
 第1章<教育的>の誕生

  1. はじめに―問題提起
  2. 辞書・辞典から
  3. 「教育」の語の登場
  4. 「的」の誕生と普及
  5. 「教育的」の登場
  6. 雑誌記事中の「教育的」

 第2章戦前期の教育と<教育的なるもの>

  1. はじめに
  2. 問題の所在
  3. 「教育的」の誕生と普及
  4. <教育的なるもの>による言説の正当化
  5. <教育的なるもの>をめぐる争い
  6. 教育の自己増殖


第1章では、「教育」「的」「教育的」のそれぞれがいかにして生まれてきたか、そして雑誌の中にどう登場してるかという次章へのつなぎをしています。
この「雑誌の中にどう登場してるか」辺りが僕の卒論とかぶってるんですねー!(ただ、後述のようにあんまり直接関係はしてなそうですが…汗)


「教育」の前には「教化(けうげ 仏教用語)」やら「教化(けうくわ 儒教語)」やらが用いられてましたが、これらの従来語は「いずれの場合も自分が修養を積むことによって周囲に影響を及ぼすことを指してい(p.28)」たので、「他者に対する意図的・組織的な行為(p.28)」として現在イメージされている「教育」とはズレており、そのため「教育」の語が必要になったとのことです。


ほんで次の「的」の話は、最初なんでこんな節作ったのか分からなかったけど読んでみたらとても面白かった。
Twitterで流してもけっこうRTされてたし(と、さりげなく自分のTwitterを宣伝。Follow me!lol)。

「翻訳家仲間の一員の発案で、冗談半分にticを音の近い『的』に当てて訳したのが、現代語的な『的』の始まり(pp.32-33)」


へー!笑
この「的」は名詞を形容詞化する際に非常に便利だということで、様々に用いられていきます。
そしてそれらは「教育的」という形で結合し使われていきますが、最初は2つの用例があったようです。

  • 「の/に関する」(例:教育的病理学、教育的質問など)
  • 「教育効果のある/教育的配慮をした」(例:教育的精神、教育的使命、教育的意義など)

そして、徐々に前者は、的が省略されていく等、淘汰されていきます。


その変遷を追った筆者は、以下のようにまとめています。

「教育的」であるか否かという基準――独自の価値と論理を持つ領域として教育が措定されるようになることで、教育が本来的に持っている政治性が隠蔽されていくと同時に恣意的な基準が創造されていく。(p.53)


第1章では『教育時論』での「教育的」の語を分析しましたが、第2章は、別の雑誌(『大日本教育会雑誌』『教育公報』『帝国教育』など)を用いるとともに、1章より突っ込んで本分析の意義付けを行なっています。


本章に特徴的なのは、「真に教育的」という語法の発見です。
「これは教育的だ」「いや、それは違う。真に教育的なのはこれだ」といったように、<教育的なるもの>をめぐる争い(これは第2章第5節の題にもなっています)が行われたことが指摘されています。

 かくして対立は、結果として、<教育的なるもの>の本質的な善性を承認し、それを<聖化>していく機能をお互いが果たすことになる。それと同時に、戦後の多くの教育言説の対立がそうであるように、<教育的なるもの>という超越的な基準をめぐるヘゲモニー争いの様相を示すことになる。(中略)「法的に(見て)」とか「経済的に(見て)」という表現とは異なり、「教育的に(見て)」という場合は客観的な妥当性吟味の可能性がきわめて薄い。それゆえ、個々の論者はある事象を「教育的である/ない」と断定することによって、自己の願望や意図を潜入させながら、同時に自己の政治的・思想的位置の恣意性を隠蔽することが可能になる。「教育的」が「殺し文句」になるわけである。(pp.81-82)


そしてこういった事情が戦時下には、以下のような状況を引き起こす。

教育課題が戦争遂行に一元化していくことで政治目的と重ね合わせられた<教育的なるもの>が、現場の自発性や「創意工夫」を引き出しながら教育課程の自己目的化―教育実践の精緻化、学校・社会の全面的な教育化という二重の意味で、言説―実践の環が無限定に拡大していったとみるべきではないだろうか。(p.87)


ふむぅ…。正直第2章の理論的な話は難しかったのでなかなか掴めてない気がする…。以下アヤフヤまとめ。ツッコミ募集中。


「教育言説(これは教育現場のみから生成されるものではない。例えば戦時下はお国のために役立つ子どもを育成しよう!的なスローガンが外部から導入されたはず)」が「教育的」なものを規定し、それにそって「教育実践」が行われていた。
つまり、「教育」は(これを主語にしてる時点で色々問題ありそうですが…)、他の分野からの独立を図るべく「教育的」という独自の価値基準を生み出したものの、「何が教育的か」を巡って新たな争いを生む結末となり、それは結局「教育」外部からの教育への参入を許すことにもつながってしまった。

まとめ

この第I部の面白いところは、おそらく「教育的」というワードに着目したところでしょう。
序章にも、教育は他の分野から独立した価値体系を持ち始めた、というようなことが書いてあったと思いますが(上述p.17引用参照)、それをきれいに示す例示として「教育的」というワードチョイスは素晴らしい。
(ちなみに、「教育的」をTwitter検索してみたら、「教育的指導」が多いみたい。「教育的体罰」とかもあって、おおこれが「教育的」の名の下に正当化されてる例か!?とも思ったり。)


自分の卒論は、30年間という短い期間しか見てませんので、おそらくある語の使われ方が大きく変遷してきたということはないでしょうし、仮にあったとしてもその語が日本の英語教育界において大きな意味を持つ語でなければ意味がありません。
そんなクリアカットな語は、果たしてあるんでしょうかね。。(それを探すのがこの卒論、と言えなくもないかもだけど)


とにかく、卒論のために第I部だけ読もうと思ったのですが、他の論の中では別のアプローチで言説分析がなされているそうですし、トピックが非常に面白かったので、時間を見つけて読み進めていこうと思います。
(あと毎回こんな1時間ちょっともかけてまとめてたんじゃ時間なくなっちゃうから、もっと簡潔に要点だけをまとめられるようにしないと…)