- 作者: 大村はま
- 出版社/メーカー: 共文社
- 発売日: 1973/11
- メディア: 単行本
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読み終わりました。
大村はまさんは、ハマーさんの愛称で知られ、73歳まで現役国語教員を続けられた方で、
その実践は広く知られているそうなので、とりあえず読んでみようと思い借りてきました。
決してキレイゴトを並べただけの本ではなく、教師という仕事を専門職と位置づけ、教師だからこそできること、というのに非常な価値と期待を置いているようでした。
「『いい人』なんてあたりまえ」「『子ども好き』だけではダメ―先生バカ」などなど、刺激的な章題が並びます。
以下、気になったところを引用しつつ適当に。
「『読んできましたか』という検査官」という章では、自宅学習させたのを教室で検査するだけの教師は教師でない、ということが書かれています。
"先生に読み方を習おう""先生に字を教えてもらおう"と思って、一生懸命になって、「先生、おはようございます。」って教室にはいってきた子どもたち……。それなのに、「読んできたか。」と検査するというのは、"先生の面目いづこにありや"と私は言いたくなります。(p.30)
確かに国語教育に関してはそうなのかも、と思いつつ、外国語は反復練習で使えるようになっていく面が大きいからどうしても自宅学習は必要だよなあと思いました。
「とにかく、『家庭』は勉強室でないことは確実なことです。生活の場なんです。(p.30)」とあるけれど、家で無勉でいられはしないと思うから、その「生活の場」にいかにして勉強をなじませていくかも大切なのかなあ。
「先生、うちの子どもはこんなふうですけれども、どういうふうに教えてくださっていますか。」「うちの子はこういう子ですけれど、どんなくふうをしていただいていますか。」――などと言わないことになっているのです。父兄はただ恐縮して、「申しわけありません。家でよく勉強させます。」ということになっています(p.85)
これは今とはだいぶ状況が違うように思えます。こういった信頼(というか、教師の権威)が基礎にあった時代は、それでもそれに甘んじてはいけない、程度の警句でよかったように思えますが、今ではきっともっとダイレクトに保護者からの口出しが入ると思うので、説明責任を果たすため、教員側が工夫をこらさなくてはいけない(もしくは、責任逃れのためにマニュアル化に走らざるを得ない)時代なのかもしれません。
いくら二十代の若さだと言っても、伸びようという気持ちを切にもたない人は、どうして少年の友であろうか、と思います。
伸びたいと切に思っていない人、伸びようと努力しない人は、少年から無縁の人だと思います。子どもとは、もはや、たいへん違った世界にいる人という気がします。若さだけに頼っていたら、若くなくなったらそれでおしまいなのではないでしょうか。そして、どの人もみな、いつかは若くなくなる日があるのです。若さだけに頼って、子どもに近づこうとしても、そういう生き方では、まもなく子どもと別世界の人になってしまう日がくると思います。私たちもより高いものに憧れ、研究の苦しみと喜びをひしと感じながら、それをもっていつまでも、少年の友でありたい。ほんとうの少年の指導者でありたいと思います。(p.128)
教育実習行ってみて、若いって便利だな、と思わされた矢先のこの文句。うぅむ。
ただ、「別世界」ではなんでいけないのかは分かりません。内田樹が言うように、師の役割が、こことは違う知の世界があることを示すことだとすれば、教員が「少年」と同じ世界にいる必要は必ずしもないのかもなーとも思いました。
とはいうものの、ここで言われていることには賛成であります。常に向学心持ってないと、お前ら勉強しろよとは言えないと思う。
先生(引用者注:奥田正造。「私が今日までお会いした先生の中で、いちばんこわい先生(p.129)」)が一つの話をしてくださったのです。
それは、「仏様がある時、道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。 車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車におふれになった。 その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。 」という話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ。」こういうふうにおっしゃいました。 そして、「生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな。(太字引用者)」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。私は考えさせられました。日がたつにつれ、年がたつにつれて深い感動となりました。(pp.130-131)
ふむ。
ふむふむ。
もちろんこの話にツッコみたいことはあって、
- どういう面を見て自分が「仏的サポート」ができたと判断するの?
- 慕われて、かつ「仏的サポート」をすることは不可能なの?
- 奥田先生は自分を一流と位置づけてるの?
などなど。
ただまー考えさせられるのは、
「自分はこういう先生になる覚悟はあるのだろうか」ってこと。
だって、生徒に一顧だにされないんだよ?切なくね?笑
もちろん、生徒に慕われようとして本旨を曲げるのはよくないと思う。
(以前Twitterで中学教員の人が、「自分の教え子は九九もできず、それでいて『小学校の頃は先生も優しくてよかった』などと言う。その小学校教員は、『勉強より大切なものがある』という言葉で目の前の子どもの指導を怠ったように思える」と怒りのツイートをしていて、学校の先生は基本的には「学力向上」を目的にすべきなのだろうな、と思った記憶がある。)
折しも昨日、教育実習でお世話になったベテランの先生とサシ飲みをさせていただき、
青臭い教育論議になったところもあったんだけど(ワヲ!)、その中で上記の話をしてみた。
「自分のサポートを生徒に感じさせないのが一流だ、的姿勢って、他ではない自分が教えた証となるようなものがなくて辛くないですか?」
その先生の回答は、「自分も『自分が教えたから君たちが出来るようになったのだ』と誇示する気はない。その話のような陰ながらのサポートができればよい。ただ、自分が教えた証が全くないわけではない。たとえ本人たちに気付かれなくても、『自分だけが見つけた、彼/彼女らの成長』を見つけて、それを自分の指導の賜物と思うことは出来る」というものでした。
仏の指の話を読んだ時に感じた切なさは完全に消えてはいないけれど、少し納得。
色々読んで聞いて考えていきたいなあと、凡庸な結論ながら思った次第でありました。